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ハードルの低い幸せに満足する不幸

よく、なんでも不満言っちゃう人がいますが、その反対になんでも楽しめる人がいます。この差ってどこからくるんでしょうね。ただ、なんでも楽しめる人っていうのは、決して楽しいと思うハードルが低いわけでは無いと思うんです。

要は、楽しいことばかり続くと、楽しく無いことまで楽しい気がするような域に達するんですね。もうずっと楽しい履歴ばかりで、嫌なこととかあっても埋もれちゃうというか。まさか次に起こることが楽しくないわけないって。

俺は特別不幸なわけでも無いですけど、なんかこう嫌なことが続くとなんでもイラつくようになるときがあるんですよね。最近だとかれこれ二十年くらいそうです。こうなってくると、たまのいいことでも気分が良くなって悪いトレンドが続いてても止めようという気が一瞬削がれるわけです。ここでまた悪いことが起きるんです。

調子のいいときはより調子が良くなり、また落ちにくくなります。その反対もそうです。上がったら落ちるみたいな錆びたセリフがありますが、こういったことは現代の時間軸ではとても語りにくい話だと感じます。一回ダメでも諦めないでというのは確かにそうなんですが、二回目のダメから立ち直るときは倍の労力がかかるわけです。三回四回なんて恐らく普通は持ちません。

上り調子の人はどんどん楽に上れるようになってさらに登ろうと考えます。下ってる人は降る速度を緩めるので精一杯、元の場所さえ遠のいて、先に気力が尽きるでしょ。もういいや、どうせがんばってもあの天高く登ってる人には追いつかないし。まあそう思いますよね。

わかりやすい成功者はほっといてもその幸せな様を世間が目にすると思います。その姿勢を真似て、自分もなんでも幸せに感じようなんて思ってもできるもんではないし、余計具合を悪くするだけです。そもそも、幸不幸のバランスなんてものは適当ですからね。

ある程度成熟してきた国の教育では全員が幸せに向かって歩いてくことを促す傾向にあります。しかし、世代によっては前提が破綻してうまく機能しないケースが多く見られます。

まあわかりませんけど、例えば、親が自分を犠牲に頑張り倒してくれたからと言って子供がそのメリットを享受できるかというとそうでもないわけです。いつも疲れた顔をして、ろくに話もしねえで、教育はアウトソーシング。何もしないよりかはましでしょうけど、生まれてしばらくそういう景色見て育つ人間がどうなるかってことですよね。もちろん、そんな世界を見ないために学校を含めいろんな環境が転がってるわけです。

とはいえ、そういう環境にアクセスできるかどうかってのはほぼほぼ運の要素が関わってくるのでなんとも言えないです

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