Header Ads

できないと思う、は習慣である

それはもう、レベルの高いことから低いことまで、人は習慣に取り憑かれています。例えば「漫画しか読んでないと漫画を読むことが簡単になり、活字へ移行するのが難しい」というもの。これこそ慣れの問題で、俺自身大学生の頃に経験しています。

最近はめっきりコミックへの比重が下がったせいで、もっぱら活字に触れていますが、驚くことにコミックを読むことが以前よりハードル高いんじゃないかと感じはじめました。

テレビですらそうです、10年前はテレビを見てるだけで深夜は2時まで間が持ちました。しかし、今では日をまたぐことすら難しいです。もちろん、これらには年齢によるものやコンテンツの訴求力がなくなったのも影響しているかもしれません。

とはいえ、それを差し引いても、活字になじむかどうかは活字に触れた時間に比例するのは間違いないわけです。「慣れるまでに時間がかからなかったものは記憶に薄い」と考えれば、慣れるのに時間がかかることはできないと意識するようになります。勉強やスポーツといったもので個体差があるように、読書程度のことでも十分あるのです。

ただ一度慣れてしまえば、できなかった自分は意識の中から消え、ある時他人が出来ないのを目にしてなぜ出来ないのかと言ってしまうのです。習慣とは無意識にも近いのです。

それに経験なんかをなまじ重ねると、ほぼ感覚的にこれはできるあれはできないとソートしてしまう結果を招きます。これが悪いとは言いませんが、大人になるにつれ可能性を狭めてしまうという一因にもなりうるわけです。

できることが増え続ける方向に努力すれば、あれもできるこれもできるという体質になり、よりできる方へスペックが加速していきます。これを世の中的には二物を与えると言います。しかし与えるのは天ではなくその本人の特性によるものです。図らずもできる人はより上手くいき、その反対はいうまでもなく、かくして格差や二極化という話へつながります。

「もうここまできたら状況は反転する」的な発想は、特に日本においてはここ100年の人の感覚だと思います。長い目で見れば状況はひたすらにどちらかへ進み、リセットの時まで止まりません。したがって、乗ってるなと思った時はそれを習慣化し、可能な限りでアップサイドを取り続けることが大事なのです。

Powered by Blogger.