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他人が言うやるなに裏付けはないが、やれということにも裏付けはない

人は、経験したことは知っていると思いがちです。しかし、経験がないことでも見聞きしただけで知った気になってることは多いです。

俺は十年近く、投資といえば株でしたが、去年あたりから為替にも手を出すようになりました。特に理由はありません。たまにそういう話をすると、勉強はしたのかとか、レバ効かせるのは危ないとか言われることがあります。言うのは勝手なんですけどね、やったことがない人が危ないだの何だのわかったようにいう意味がよくわかりません。

ここで思い出すのが、歴代数学の先生に共通する
授業聞いてわかった気になるな
という言葉。自分で解けてはじめてわかったと言えるということです。要するに、どこぞの人が信用取引で家を失ったなんて話聞いたからと、投資はリスク高いなんてコメントしていりません。

そんなの承知でやってますし、最低限ゼロで終わる程度には配慮してます。心配して言ってくれてるのかもしれませんけど、口先介入できるレベルになってからどうぞって感じです。

あれこれ事例を出して勝手なことを言うのは、行動の制止のみならず促す方でも同様であります。うちはそうでもありませんでしたが、小中学生くらいだととりあえず何をおいても勉強しろと言われます。何か確固たる思惑があってというより、単純にそういうものだという慣習に従って言ってるわけです。

慣習の域を出ないのは、本当に必要な機会がなかったからという面があると思います。大概の人が読み書きと加減乗除ができれば十分と思って生きてるので、高度な学問の意義をつかみきれずに社会を漂っています。本来の高等教育とはそんなレベルの話ではないので、大学の形態が問われる昨今はファンダメンタルの収束とも言えるでしょう。まあ少なからず理系の職能というのはそう変化してないようにも見えますが。

とにかく、その程度の教養でもって語られるやれ、やるなには簡単に乗らないほうが賢明なのです。

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