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暴力を制限して言論を暴走させる

小さい時からしきりに「手を出してはいけない、口で言え」という教育を受けてきました。多くの良い子はそれを守ることができたのでしょう。しかし、人間ほどばらつきのある生物もそういません。大人になってからはほとんど暴力に頼る機会なんてありませんが、果たして本当に非暴力とはうまくいってる概念なのでしょうか。

決して手を挙げることを礼賛しているわけではありません。行使しなくて済むなら一番いいです。ただ、一方で暴力はダメだが、口で言う分にはいくら言ってもいいと勘違いしてるクソもいるわけです。そもそも口がいいといった根拠を示されたことは一度もありません。少なくとも俺は。

昨今、精神的に追い詰められて大事に至る話題が増えてきたと思います。もちろん虐待の例も見受けられますが、変化の傾きはメンタルによるものの方が急であると感じます。これはひとえに口による責めが横行した結果だろうと思います。

良い子()は真面目に大人の言うことを信じて、今でも大概口で言えば解決できると思っていますが、そこにそれを受け付けない人が来たらもうどうにもできません。外国で拉致られて、じゃあそこで説得しようなんてどう考えたって無理でしょうからね。

結局、手段として存在するものをいくら否定しようとも、誰かが使うことは避けられません。受けた教育が違えば口と手は逆になるかもしれないし、前提はよく変わるものです。諸行無常とはよく言ったもので、頭にある事象がずーっとアップデートされてない人の多さには驚くばかり。

北斗の拳はまさに暴力が支配する世の中。人は自分の見た世界が真実と錯覚します。ほんの何百年前までは戦で正義を示していたにもかかわらず、今じゃピースピース言いますからね。いつまた修羅の世界が来てもおかしくないです。平和がいいと言ったり戦こそあるべき姿と言ったり、ポジショントークの域を出ません。そんなのどうでもいい。

ペンが剣より強くあるためには大きなバックが必要なのは当然。手を出せないからと調子に乗ってしまえば守られる前に殺されます。今眼前にあるルールは生物であり、いつか腐る時が来るのです。変わろうとしなくてもその時が来れば変化を受け入れるしかありません。歴史とはそういうものです(なんの話だ)

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