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体が最初で心が最後

笑えばいいと思うよ、というのは某アニメで有名なセリフです。人はどういうときに楽しいと感じているのかという問いに反して、昨今では顔だけでも笑顔でいると心の方も付いてくるという考え方がなされています。そうですね、そう思うと、おれは小さい頃に比べて笑顔になる原因がずいぶんつまらなくなった気がします。

テクニカルな笑いとか、人為的な低次元のミスだったり、得になる方向に笑ってることが本当に減りました。よくないですね。成人にも満たない時までは、大人なんて全然いい笑顔しねえななんて思っていたのに、今やその大人をトレースするとは情けないです。

ただ、いい笑顔してる人を見ても
「なんだその程度で笑顔になれるのか」
と、斜に見てしまう自分がいます。なまじ嫉妬でも裏山でもあればまだしも、その同じ状況では確実に笑わないとしか思えないのが虚しい。それならいっそ楽しくなくても笑ってるくらいの方が健康的なのかとも思えるほどです。

しかし、いつから人は気持ちというか頭優先で物を考えるようになったんですかね。

暴力を公に否定しだしてから、どんどんその理の詰め方が崩壊してきたように思います。そもそも議論の末に最善の答えが出るような期待はセンス感じません。どういうケースにどういう立ち位置が正しいなんて決まってるなら誰も間違うはずがない。

似たような前提の常識で語る人のコミュニティがあれば、そこへ不利に働く勢力は自分たちの既得権に都合が悪いに決まっています。そしてそれを排除することに疑いはなく、倫理もクソもなしにただ排除に走ります。平和が素晴らしいと。

平和って何かよくわかりませんが、戦争の間の特異期間と言えなくもないです。平和ベースで頭がある人は戦争が特異期間と認識するでしょう。そんなものはどうだっていいわけです。ある人が生きる中で、たまに平和であることとたまに戦争であることではそれぞれに対する備え方は真逆になります。たとえ同じ感情を持っても行動は逆向きという状況も往々にしてあるわけです。わかり合おうとか大事かもしれませんけどね、何もかも違う人とはお互いを受け入れるハードルが高杉晋作です。

まあ彼みたいに、面白く無い世でも気持ち一つで変わると、本気で思えるようになればそれはそういう体質とも言えなくはないですがね。

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