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クリスマスの一般化と人々の幸福度

うちにツリーを飾ってる人ってどのくらいいるんでしょうね。昨今は家の外壁にイルミネーションをぶら下げる人の増加が著しいので、やはりインテリアも盛ってるのでしょうか。

そもそものイエスさんの誕生的な話はあまり聞かれませんが、ただそれでも楽しければなんでもいいんじゃないかとも思うわけです。彼岸に墓参りするのに仏教徒だとも思ってない人が何の気なしに12/25過ごせるってなんか平和ですよね。

なんでもかんでも混ざった文化を受け入れられるのは、数少ない日本の良さだとも思います。一面的には、というか自分に都合のいい形では。それをなせるのも商業的な力で宗教観をコンバートしたおかげであると理解しています。

電飾、ケーキ、パーリィーといったようなものを、宗教サイドから提案するのは一般化に際してスムーズじゃない部分もあるでしょうしね。俺は小学校くらいでそういう一般化されたクリスマスは飽きが来たので、むしろ商/教分離されて維持できてるのはいいことだと思っています。もっと言えば、より上位の、本来のイベントに関心を持つきっかけだと考えても悪くない状況だと感じています。子供はサンタクロースの存在が先にあって、それを斜に見て初めてイエスの存在を認識するなんてのはこの国ではよくあることだと思います。段階の問題です。

一般化というと、にわか理系の俺からすれば無数のイベントをまとめる法則というイメージがあります。公式と言われるようなやつです。難しい概念も、一般化された違う形で見れば導入は容易です。クリスマスも同様だと思います。国全体でキリスト教が多ければ、そっちのクリスマスの過ごし方というのがあるんでしょうけど、そもそも知るきっかけがなくては話が始まりません。

クリスマスに向けて部屋を飾ったり、イルミでキラキラさせるのも一つの幸せだって思う人がいれば、一般化も効果あるわけです。年に一個そういうのが増えるだけでも人は頑張れる気がするんですよね。まあ一方では人並みのクリスマスを過ごせないことによる不幸が生まれたりもするけど、それはどういうことにも有り得る二面性。結局はイベントの問題ではないのかもしれません。

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