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めんどくさいことをしないめんどくさい人

「人生で大事なことはめんどくさいことの中にある」
「めんどくさいから面白い」
考え方でどうにでもなるというのは不思議なもんで、同じことやってても同じ話聞いててもどう捉えるかって全然人によって違いますよね。俺なんかもすげえ面倒くさがりですが、面倒は嫌いじゃありません。それに、多くの人からめんどくせえ部類の人間だと思われてるでしょう。だから付き合いのある人間もよほど忍耐力があるか面倒が好きな人たちなんだと思います。
ただ、一方で面倒なことを無条件に全部避ける人もいて、要は面倒が楽しくない人もいるわけです。こういう人は面倒なことを人にやってもらうのが気持ちいいわけです。冒頭で引用した二行目は所ジョージ氏の名言ですが、まさにその通りだと思います。もちろん仕事とか遊びとかで多少話は変わってくるでしょうけど、まあ概ねアグリーできます。

面倒を避ける人は大概面倒になりそうなことに対して文句を言います。これこれこういう正当性がないとか、なんでそこまでしないといけないのかとか。弱い脳みそで必死にごねるんですね。一行目に引用したものは誰が言ったか記憶にないですが、ともすれば面倒が受け入れられない人は人生の大事な部分に触れずして朽ちていくわけです。非常に勿体無いことです。

俺自身は面倒が嫌いな人はめんどくさいので嫌いです。一見矛盾してるようですが面倒を受け入れてる人のめんどくささとは性質が違うんですよね。例えば近代、家事の多くは自動化の一途をたどって、人は知らず知らず怠ける方に徐々に進化してきました。洗い物で言えば洗濯なんてほぼどのうちでも使うし、食洗機があることも別に珍しくない。店のドアは手動より自動を選んで入り、階段よりエスカレータを選ぶ。そうかと思えば、未だに現金で買い物をしたり、通帳使ったり手帳書いたりして、あまり統一感とか一貫性もないわけです。受動的面倒とでもいいましょうか。その辺がダメなんです。

一方、レンタルやシェアできるところをあえて所有することを能動的面倒といいませう。「また竿増えちゃったなあ、釣れもしないのに」こういうことが当然起こります。シェアしたり借りてたら「ああ釣れなかったなでも安く済んだしいいか」で終わり、今度はいつ釣りに行くんでしょうかといった具合です。ものに紐付けられるというと大げさですが、もってるからこそまた行こう/行かなきゃ的な発想が出るもの。

確かに、そういう価値観と言われればそれだけのことです。価値の希薄化みたいな概念は一般的にはなかなか持ち得ませんし、だからこそ重要だったりするわけですが。

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