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量の差は質の差である

無料の紙袋やらティッシュは無ければ無いでそれらを作るエネルギーを節約できる訳だが、どうせ作ってしまったからと必要も無いのに貰う人はどう考えているか。もう作ったから一緒。しかし、貰うから作る訳でもう作らないようにしようとは第一に思わない。言ってみれば上場廃止が決まってるのに損切りをしないようなもんだ。

浅学や知識の無さは判断に間違いを生む。間違いが悪い訳ではないが、その度に学習しないでは間違いも悪となる。

近頃メディアに映る一般人で
「子供のためを思うと反対しないといけない」
といった言葉を耳にするが、自分はどれだけ親の言うことを聴いてきたんだと言いたい。自分のやることが正しいと思ってるか知らんが、人のためとかお前が言うなと思う。自分のためにまず行動しとけばいい。親は子供のことなんてそれほどわかってないし、子どもだって親のことなんてよくわからん。他人になればなおさら。

エネルギーも政治も経済も、たいして勉強して無いのに情報だけでよくそこまでわかった気になれるなあと思う。例えば、自分で株を買ったことも無い人が株は危ないと言ってみたりするのもそうだ。やりもしないで結果が見える想像力には感心するね。

金持ったことも無い奴が自分が生活できる分だけあればいいとか言うのもそうだ。金持ちや金儲けを下に見てる割に寄付の一つもしたことがなく、世界の貧困の諸悪は富裕層にでもあるかのような言い方をする。金持ちは貧乏人がより貧乏になることを望まなくても、じゃない方は金持ちがより金持ちになることを邪魔する。困ったものだ。

言葉として「悟った」みたいなのがあるから思考停止の不勉強が安易に口にするけどさ、釈迦からすればいい迷惑だよね。やっとこ辿り着いて悟ったところを、何もなしてない半ば諦めただけのような奴に悟ったとか言われたら、おれならキレちゃうな。悟ってないんで。

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