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傷の多さと分散投資

ついこないだ、テスラが持ってるアイデア自由にどうぞと言う話が出てた。これがニュースになるということは、つまり多くの人たちはアイデアは大事な金のなる木だとでも思ってるからだろう。確かに一方では間違いではないけれど、金のなる木だっておいておけば実は腐るし、時間が経てばそんな実いっぱい出てくるかもしれない。

アイデアがポンポンでない人にとって一つのアイデアは守りたい宝なのかもしれない。しかし、100個も1000個も出る人にとっては1/100,1/1000の価値しか無い。一個とられようがなんてことは無いし、盗った盗られたみたいなけちくさい事を言う理由も無いだろう。

例えば、いい時計を買って大事に着けてても傷の一つはつくもの。新品についた一つ目の傷はショックが大きい。ただ三つ四つとつくうちにドンドン傷一つに対するショックは小さくなる。もうなんだったら傷一つ付いてない時計とか必死過ぎてみっともないくらいになるかもね。

投資においても同じ、全額一つにかけてダメだったら終わり。分散してればどっかは上がりどっかが下がってもまあいいか的な。まあ俺は一本にかけることが多いけれど、普通世間一般ではそういわれない。とにかくなんでもショックの量を軽減することが重要。

唯一何回も無いのは死ぬことぐらいだから、だいたいのことは死ななければなんとかなる。関西人はよく言うでしょ「死なへん死なへん!」って。

傷が嫌でイベント数を減らすとどうしても避けられない傷を追った時のダメージが致命的になってしまう。だから経験は大事な訳で、もちろん何もしないのが大事な時もあるのだけれど、基本的に人の脳はイベントの総量に対する一つのイベントのような認識をするからね。新鮮な気持ちを先延ばしに出来る効用と、傷を小さくできる効用のどちらをとるかって話だな。

それに関して、俺の場合は投資をする中でコントロールしないといけないのは損失だと感じ出して以来、傷を小さくする方に傾いている。子供の時に比べて新鮮だと思うことも減るし、同時に新鮮さの感じ方も小さくなるように思うから。

ただあれだよね、新鮮なものに触れなくなればなるほど感度は鈍りそうだし、それを誘発するのは傷の多さによる感度の鈍りだといえたりしなくもない。だから、平たく言えばそれを補完するのが周りの人間の繋がりだったりするのかもね。いいことはいい方に増幅し、悪いことは減衰する方に働くアンプのように。

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