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趣味とは、理不尽を楽しめるものである

かつて上岡さんが
「ゴルフは人生上手くいってる人が、いっこくらい上手くいかないものは何か、とはじめるもの」
と言っていたそうだ。


蓋し、ゴルフに限らず趣味とはそういうもののような気がする。おれも趣味と言えるほどはやってない釣りをしてて同じことを思う。毎回釣れるとは限らないし、金ばっか食うし、正味このところはもう地肌が削れるんじゃないかくらいボウズが続いている。

じゃあそれがつまんないかといえばそうではない。湖に行くまでだって楽しい。ルアーやエサ用意してるのだって楽しい。中学生時分にやってて飽きて、またここ何年かでやり出して。その時期その時期で楽しい。いつやるかもそうだけど、人生のどこでやりたくなるかはわからない。何にだって波がある。

どうせ流行でやるから金かけずにやろうとか、それこそ何にも身にならない。教科書レンタルしましたか?してませんよね?部活やった人はどうなの?期間が限られてる時ですら持ち物そろえてるでしょ。物持たないでもなんとかなるかと思ったこともあった。でもねえ、なんかちがうんだなあ。

借物で上手くいかないことがあったとして、魚釣れないとか、ショット上手く打てないとか、もっと言えば竿折れたとかなったとき、責任って貸す側にヘッジされてるというか、全部自分で背負わなくてよくなる。実社会ではよく責任なんていうけれど、趣味の世界でもそこは大事。本当に面白い物は全部自分ごととして受け取れる環境でなくては得られない。そこを経てないと上手くいかないことはつまらなくて良くないものだと認識するようになり、失敗が悪になる。

世はとかく不条理で、自然はそうあるものだが、何故か人の社会では逆の面がある。上手くいかないことは不満だし、嫌い。そう思ってるとキリが無い。だって上手くいかないのが常なんだから。何やってても不満とかすごくしんどい。趣味が人生を楽しくするかはわからないけど、人生の理不尽な面を受け入れる存在にはなるはずである。

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