数字に甘える
数字で示せというのは考えなくなる一歩である。
一人ひとりに情報を提供する手間を省くために共通の文化を用意した。
例えば、車のパワーを馬力で統一すると、200ps出るから速いとか、800ps出るからすげえ速いといった具合になる。しかし、これは本当に正しいかは別の話。昔のアメ車はエンジン単体のパワーを測定するだけで、車載してダイナモ測定はしなかったらしい。こうなると実質のパワーは公表値より落ちる。加速に関しても、ギアが違えば同じエンジン同じ出力傾向でも0-100km/hに差が出る。
液晶でもそう、コントラスト比が高かろうとそもそもの光度が足りてなければ綺麗には映らない。CPUだってやたらに高ければ早い訳でもなく、アーキテクチャの差がある。スピーカーの音域も、水の100度も、売り上げもGDPも確率も、ある数字にある基準が出来ればそこからの乖離で判断。実利や本意は無視して数字の大小でものを決める。
定量的な面ばかりに傾注するとそれを利用するケースだって出てくる。株における見せ板みたいなもんだ。人間は自分に都合のいいものを見たがる。データ出す側がそんなことわかってない方が少ない。知らない人はずっとそのまま。効能がわからない人は名目と実際に差があろうと気持ちさえ損なわなければ問題ない。上っ面だけを取り繕って満足し、わかろうとする努力をしない。何でもそうやってきた結果だろう。
日本は読解力と数処理が世界トップらしいが、大人になるにつれその扱い方を間違えるようになるんでしょうかね。入試の偏差値あたりでもうちょっと片足ぐねってる。誰も疑わないから誰もわかってない。読解できて数を処理できても数を読める訳ではないのである。
勿論日本に限らず、各国一部の人間だけが数字を読める。バランスシートでも貸借対照表でもなんでもいいんだけど、そうやって結果が出る事実がある。かくいうおれも読めているかは怪しいし、ただ、少なくとも読めているのかを疑うくらいは意識においている。
一人ひとりに情報を提供する手間を省くために共通の文化を用意した。
例えば、車のパワーを馬力で統一すると、200ps出るから速いとか、800ps出るからすげえ速いといった具合になる。しかし、これは本当に正しいかは別の話。昔のアメ車はエンジン単体のパワーを測定するだけで、車載してダイナモ測定はしなかったらしい。こうなると実質のパワーは公表値より落ちる。加速に関しても、ギアが違えば同じエンジン同じ出力傾向でも0-100km/hに差が出る。
液晶でもそう、コントラスト比が高かろうとそもそもの光度が足りてなければ綺麗には映らない。CPUだってやたらに高ければ早い訳でもなく、アーキテクチャの差がある。スピーカーの音域も、水の100度も、売り上げもGDPも確率も、ある数字にある基準が出来ればそこからの乖離で判断。実利や本意は無視して数字の大小でものを決める。
定量的な面ばかりに傾注するとそれを利用するケースだって出てくる。株における見せ板みたいなもんだ。人間は自分に都合のいいものを見たがる。データ出す側がそんなことわかってない方が少ない。知らない人はずっとそのまま。効能がわからない人は名目と実際に差があろうと気持ちさえ損なわなければ問題ない。上っ面だけを取り繕って満足し、わかろうとする努力をしない。何でもそうやってきた結果だろう。
日本は読解力と数処理が世界トップらしいが、大人になるにつれその扱い方を間違えるようになるんでしょうかね。入試の偏差値あたりでもうちょっと片足ぐねってる。誰も疑わないから誰もわかってない。読解できて数を処理できても数を読める訳ではないのである。
勿論日本に限らず、各国一部の人間だけが数字を読める。バランスシートでも貸借対照表でもなんでもいいんだけど、そうやって結果が出る事実がある。かくいうおれも読めているかは怪しいし、ただ、少なくとも読めているのかを疑うくらいは意識においている。