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9割の見た目と1割の中身


久々に面白かったマンガ。全32巻。ずっとスーツの話。時々革靴と時計。思わずスーツ作りにいきたくなってしまった。まあウン十万もどこから出そうっていうところで断念したけど。

しかし、こと日本においては一部のシャレオツを除き、スーツイコールビジネスみたいなのが強くって、それこそ葬式と結婚式で変化付ける程度のもん。普段着になんてまあ見ない。ジャケットくらいは羽織るにしてもフルオーダーを場面にあわせてもってる人は少ないと思う。ツイードだ麻だとか、素材にしてもいろいろで、生地が良ければいいってもんでもなく、扱いやなんかもあくまで服として機能することを考えないといけない。

その辺の男の子は大概就活で作るか成人式で作るかそんなもんで、二着なんぼとか、兼用の真っ黒黒スーツになるわけだけど、センスも糞も無い。一見して初スーツ感が出る。買う方も買う方なら売る方もそれでいいと思ってる。世間もね。よく、女子がスーツの男が二割かっこ良く見えるなんて言ってるが、ディティールなんて気にするほどわかってるとは思えない。もちろんわかってる人も一部いるんだろう。ただそうなるのはそれなりのクラスでな訳で、適当なバラエティその他情報番組を見てる層ではない。

見た目9割の話は読んだことないけれど、おれからすれば、ある格好をしてその共通言語が理解できると同じレイヤー。つまり、その価値を共有できる教養レベルだ。上下の問題ではなくフィールドの違い。例えば、ワインでもそうだ。その辺のグルメ番組ではおいしいだの飲みやすいだの言っている。一方で酸味がエレガンスと表現して伝わる人もいる。

結局本人の気持ちなのだけど、どういう層がどういう文化をもってるかってそうそう横断しないところがある。生まれた環境がその常識を作ってしまえばなかなか翻すことも難しい。スーツひとつでも、まるで生きてる世界の認識が異なってくる。着る人着ない人、選ぶ人選ばない人。

「制服の人になる」と言った人がいたように、衣一つで人は変わる。損得のような短期的な話もわからなくないが、最終的には本体の問題が大きい。いいスーツ纏ったところで俺がジェイソンステイサムにはならない。あくまでその地を加減するに過ぎないわけである。酔った時もそう、人が変わるのではなく本来の人が出るだけ。だからこそ中身を磨く程、見た目で増幅される効用が高まってくる。

まあだから、せめて精一杯の自分を下げないようには手をかけるべきなんじゃないかな
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