判断と決断の隙間
最終的に物事を決めるのはなんだろう。食事のメニューだったり進路だったり、事の大きさに依らず人生は選ぶ事の繰り返し。おれはよく分岐を目の前に立ち止まる。昔テレビで松岡修造さんが世界に行くには早い決断が重要だと言ってて、日常から意識しないといけないとも言っていた。
自分の持ってる情報を咀嚼して決める、誰かのアドバイスを参考にして決める。方法はいろいろある。ただ、本当決めるってわからない。例えば、セールストークなんてのは物を知らない人に使ってはじめて効果があると俺なんかは思ってる。実際、家電や車やその他商品に関して、どんなに売り込まれようと大概自分の知識を超えてこない。それこそインサイダー情報でも振りかざしてこない限り一太刀も浴びせられないだろう。
株でも何でも、投資なんてしてると特にそういう感覚が強くなってくる。知りうる限りで立てた仮説に賭ける。まあ、賭けるって表現が合ってるのかはわからないけど、その仮説は損益という結果として跳ね返る。そして理論学者のように再現性を探って、はじめて正否を決定できる。
とはいえ、やれるだけやればいつでもすぐ決断に繋がるかといえばそうではない。いける材料がいくら揃おうとも、ちらつくいけない材料があるだけで俺は躊躇してしまう。今まで何度も決める作業はやってきた。なのにずっと、最終的には積み上げた自信でも何でもない勢いに頼らないといけないことばかりだった。これとこれとが揃えば決める!みたいなのが全くないわけではないが、本当に必要なのは決め手ではなくその時の気持ちだったりする。
厳密に言えば決めないというのも一つの決断としてあるわけだが、そういう意味でどこか自分の中に、決める以上は変わらないといけないみたいなのがあるように思う。まさか変わりたくないなんて考えはないにしても、何をそんなに迷う必要があるのかさっぱりわからない。よくいうように、悩んでたって何も変わら無い。足踏みじゃ前に進まないように、転けるリスクを冒してでも前に体重を移動させなければいけないときは来る。一歩、まず一歩。