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予想通りが一番下

とあるニュースがあって、それがネガティブであれポジティブであれ予想と乖離すればまだいい。予想通りなのが一番つまらない。例えば、投資しようかなあと思って銘柄をフォローしてたとして、どのタイミングで買い入れようという時に、サプライズが小さいのは下げのサインくらいに思う。バッドニュースの時は状況にもよるけど、出尽くし感があれば買いが入るし、予想より悪いケースでは売られる。ただ「まあこんなもんかくらいか」になると、じりじり下げてって買う気も起こらなくなるし、ホールドしてても見込み薄な気になる。

人の評価も株価と同じでその人だからと言ってずっと変わらないなんて事はない。いいなあと思ってても不意に気に入らないことが出てきたりもする。ギャップとかそうだよね、妙な所ではまるとストップ高/安気配になる。一方でずっと上げトレンドで来ててもおもむろに売り気配に変わるなんて珍しくない。投資が経済性だけで上手くいかないのと同様に、人の関係も何かを以て良好に保てるわけではない。

最近リマスターやってるせいで12年前のFFストーリーを引き合いに出してしまうが、結局何が根本にあるかって、留まる事の歪さに尽きるよね。作中ではスピラって上手く言ってるけど、人って循環しなくなったら終わりなのだ。オイルの落ちきった車もダメ、流れずに固まった血栓もダメ、口座に貯まった現金も。

ずっとそれで来たから、翻せば悪。なんだそれ。論理、思考も例外ではなく止めたら終わり。結果は常に仮で、暫定チャンピオンのようなもの。死という唯一絶対の永遠に恐れる一方、現世においては別の永遠を求める。変わらないことへの執着。終着。

久々に会う人間がいたとして、「変わってないな」と交わすなら、それはお互い以前のままなのかそれとも成長によって視点の差に開きがなかったことなのか。それで随分違う。変わってないことは変わったこと以上に複雑である。

俺は大概久々に会う人に痩せたと肉体的な変化をいわれ、おかげさまで中身の変化のなさは霧の中に隠れてると思ってる。しかし、振り返ればもはや太ってない期間の方が長いんだよね。如何に継続した関係がないかって感じだけど、単にどこで別れてくかっていう差の話に過ぎないわけで。誰しもが配当を受け取るために長期の関係を欲しがることもないように、損切ったり利確したりいろいろある。時には買収にあったりね。

そうやって歴史が続いていくのです、ロマンですね、ロマンってよくわかりませんけど。
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