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クルマよ、お世話になりました?

ガソリンが枯渇したら馬車に戻る?いやいや、石油がダメなら太陽や風を使えば良いじゃない。パンとケーキの件ではないけれど、こういう話は現象だけを見て言うと大けがをする。

じゃあ明日から急に薪を使えと言われても、シバカリにでも行くのかって。日本人は特に、薪がイイなんて誰かが言おうもんならそこら中の薪が買いたたかれるだろう。それこそ、かつて石炭の発見がなかったら今頃地球から森が消えていたかもしれないなんて事は考えもせずに。

今では石炭が悪いなんていわれ、某国がそれを燃やせば公害だなんだって、確かにある一面では正しい。しかし、石炭の燃焼技術だっていつまでもウン十年前のままなわけない。ウン十年前なのは人の頭の方だ。ディーゼルの比率が少ないのも思考停止大国の特徴であるが、言い出せばキリが無い。
本書では馬車の話が出てくる。クルマが走る前は道にフンが溜まり、空気中に飛散し病気を生んでいたと。クルマはそんなことが無くなると1900年初頭には言われてたそうだ。それが今では各メーカーがエコを意識せずにはいられなくなっている。馬車の頃は何もなかったとでも言いたげなくらい。時間が事の本質を明るみに出すのはありがちなことだけど、その時々のトレンドを信仰し過ぎてる節はいつもある。

車を維持するにはコストがかかる。そのコストは全額使用者負担ではなく、国や地方が出している。補助金。コストは何するにもかかるわけだが、軽減されれば話は変わってくる。ただ他方では不平等感が生まれそう上手く着地しない。日本では軽自動車が道を占拠するトップであるが、ではその軽が道路に一番金を落としているかというとそうでもない。軽はエコだといわれ、目先ユーザに優しいデザイン(法律とか税制)がしかれている。多くの人達は自分たちの損が増えそうなときは黙っているものだ。さんざん原発を享受してまずくなったら廃止ですか。廃炉のコスト?君らの車やなんかが出している汚染コストは計算でもしたんでしょうかねえ。

こういう本を一番読まないといけないのは趣味で車に乗る人以外。俺は実用手段として車を見ることは少ない。その辺の車好きでもない人々はそれこそこの本の通り、歩いたり自転車を利用するインテリジェンスを身につけるべきである。俺は車好きで軽をバカにしているし、エコでもない車の方が大概好きであるが、一方で移動の大半は自転車と電車。二十代後半の男で、片道の移動が10km以内は自転車で済ます人はそういないと思う。

この本自体は2000年にアメリカで書かれた物だから、アメリカの事情によるところが大きい。しかし、国土から言っても、より車の依存を減らしやすいのは日本だろうと思う。都心部は年を追ってその傾向にあるが、田舎の方は依然車社会だ。現実的には車しか辿り着けない土地にお住まいのバカ人のために電車を敷くわけにはいかないので、黙らせる意味も込めて軽を安くしてそれに乗らせておく国策。多様性ですからね、結論みんな思う通りやるしかないわけ。都心に住みたい→クルマ要らない、地方で良い→クルマ要る。バスとか、適当な妥協点もあるものの、地方財政で常に赤字を出して持続可能かって話になる。一番は身近な人で支えることだろうけど、どこまで保つのかわかんないよ。

「ある」社会において「ない」社会の感覚が通用するようなアップデートはされていないからね。OSの互換性だっていずれはハードが対応し切れなく時が来る。何かを捨ててハイ終わりでは先が詰む。捨てるなら全部、一部なんてぬるいチョイスは無理なのだ。幸か不幸か、日本は年々クルマ離れに向かってるので、自然クルマは減ってくことになる。
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