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道は地図の上にあるのか


なかなか興味深い本だった。「県」で地理を見るセンスの無さを認識した。

昨今、環境だ災害だの、日本の自然の厳しさを自覚する機会が増えている。ただ、何をベースに考えてるかが大事。本書の重要な点は行政区ではなく流域で土地を見ろという点。本当その通りだ。

むかし、社会の授業でアフリカの国境を習った時には思うところがあったけど、それでも自分の住んでる土地に何も思わなかったことが情けない。たいして変わら無いなあと。家の目の前に流れてる川が何処から流れてどこに行くのかもわかってない。その程度では水害も何も語れたもんじゃない。

自分の立ってる場所はどういうところなのか、パウロコエーリョのアルケミストじゃないけれど、どういう地図に自分を見ているのか。行動は自ずとそれに従うのである。ついこの間も奈良の南に出向く時、同じ奈良なのにとこぼした。そうじゃない、自然的には。

YAZAWAと同じだよね。
県は良いけど、土地がどう言うかな?

浅はかだったわ。池原は奈良の内にあるというのが。池原は都合奈良に在るが自然は奈良に作ったわけではない。遠回り上等。今なら非常に納得がいく。

自分の中にある地図は世界観に大きく影響してる。

中世賎民の宇宙―ヨーロッパ原点への旅 (ちくま学芸文庫)
阿部 謹也
筑摩書房
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ここでは中世の人が思ってた宇宙像を述べている。現代人が読めばバカにもするだろうが、未来では同じように今の俺達がバカにされることも十分考えられる。

頭に描く地図を歩み、何処に向かうのか。道とは自分が歩いた後に出来る。同じ道はなく、川も同じところを流れ続けず。それでも止まることなく進んでく。行けばわかるさ、行ければね。
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