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する話しない話

人によって自然と話す内容が決まってくる。この自然とって言うのが自然ではない気もするのだけど、かといってあらかじめ決まってるわけではない。金の話をする人、趣味の話をする人、真面目な話をする人、どうでもいい話をする人。どれがどうと序列を付けるわけではないが、人それぞれに好む話に差がある。従って、興味ない話の割合が増えるにつれ、話す気がなくなるのは確かである。

ただ、より人に近い部分の話はするしないで親密さも変わってくるように感じる。車とか金の話を詰めてるより、人間関係について話してる方が踏み込んでる印象を持っている。まあ信用とかの問題もあるんだろうけど、立場や接触時間も多分に関係してるように思う。同ヒエラルキー同時間軸で親和性が高くなって当然だ。それに、感情とか習慣に関わる物事へは論理や史実で話を求められない場合が一部の層ではよくあるもので、そうなってくると余計に自分は話に入る必要がないと判断してしまう。

差別じゃなくて区別だという台詞を各所で聞くように、俺自身は話し相手の違いぐらいにしか思ってなくても、何処まで踏み込めるかという差は明確に出る。話した感触で違和感を受け取れば次は無い。いくつかサンプルをとれば話のギアが合う合わないくらいすぐにわかっちゃうからね。日本にはカーストほどの完全な仕切りが無いとはいえ、簡単に透過しない程度のATフィー◯ドは大きな障壁として存在する。

声の網 (角川文庫)
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星 新一
角川書店
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この本におけるコンピュータの存在は、日本のそういう壁にも似た何かを感じた。常識とか暗黙のルールとか社会的規範とか、誰も言ってないけど誰もが実行するべきと考えてる虚像。それこそ無宗教で神も信じてない代わりに虚像に依存している。神なんていないって言う口が、実体のない虚像には絶大の信頼を置いている。

慣れてしまえばどうも思わない。流れるまま疑いも無く当然のように振る舞い続ける。よく飽きないよね。俺は無理だな、すぐ飽きるし、すぐ流れに逆らって疑いだしちゃうよ。なんでっていうか、安定点にいないとそうなるのが自然なのだ。これを動的平衡と言います。うそです。うそですか?
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