古いもの、新しいもの
俺がアンティークの存在を知ったのはドラえもんが最初だった。定番のスネ夫の自慢の件、アンティークを扱った回があった。それ以来収集を、なんてわけないが、たまに博物館やらで目にする古いコレクションとかには歴史を感じる程度に興味はある。
本書にはアンティークとヴィンテージの違いについて述べている。ふと、車好きな俺はクラシックカーとヴィンテージカーの違いが頭を過ったけれど、アンティークとは主に100年以上前の物らしいのでアンティークカーと呼べる物はほぼ無いなあとか思ったりした。まあそんなことはどうでもいい。
昨今、技術だなんだと言われているけども、例えば今一生懸命作ったとして100年残る物ってどれだけあるかなあと思う。車の話をちょっと出したけど、工業製品なんて5,60年でも大概古い。それこそ32年のフォードだ29年のブガッティだとなれば現代と同じ車とは思えない。トヨタやホンダなんてある年代以降のものは未来に影も形も残んないと思うね、途上国で限界まで使われてスクラップだろう。64年のC2が同じ扱い受けるかって、絶対欲しい層が違うはず。そらまあ、消費財を作るのと文化財(言い過ぎ)を作るのは別の話だけどさ、そもそも存在としてその時代にあるかないかは大きく違う。
日本は歴史だなんだと甘えてるけど、奈良、平安、鎌倉云々ときて近代は何が残せるのか。寧ろ残す必要を感じていないのか。よくわからないけど、歴史に魅力感じるのって太古の物が事実目の前にあるとか、そういうところじゃないの?確かにデータとかアーカイブっつって想像もナシに現実を見れるのも良いけどさ、土器とかアクセとか像とか眺めながら想像で補完するのって結構差があるように思うよね。もちろん真実は知りたいけど。
実際、壷とか見てもよくわからないし、未だ欲しいかどうかも微妙だ。しかし、後の時代になって興味を持ってなかったばっかりに現存しないとかどうなんだと思う。どっかの遺跡を壊して2000年以上残ってた物が〜とか、金閣焼けちゃったとか、軽い気持ちの延長にある気がするよね。外から見てたら何してんのって思ってても、いざ自分がどう見られてるかもわかっといた方が良い。
いろんな物を見れば見るだけ古い良さに気付くときがある。車好きな俺も、半世紀とか前の車に興味もつようになったのはここ数年の話。ただ、唯一古い良さがまだわからないのは人げ…