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遍く暇は悪と言い

予定は少ない。連日何かしらの予定がある事は珍しい。手帳が真っ黒なんて、それこそ気分まで暗くなる。俺はそういう人。だから大概
「暇な時何してんの」
って、人は聞く。なんだろうね、何か無ければいけないわけでもないのに何かしてる方がいいみたいな。確かに、尊敬するゲーテ師匠も
「30分で何も出来ないと思ってるよりはアホらしい事でもする方が良い」
とは言ったそうだが…

実際、時間をしきりに埋めて人はどれほどの事をなしているのだろう。とある人の言葉を借りれば
「平らな地面に穴を掘って、また埋めてる」
とおれは感じざるを得ない。そこに来て忙しい、眠い、疲れている発言。自分で招いた事の結果に予測可能なフィードバック。全然聞きたくない。

不安を解消する手段は忙しくする事とはよく言う。不安を抱えて生きるのはなかなか辛いから、まあわからないでも無い。ただ、それが根源的な解決策とは思えない。人は漕ぐのを止めれば終わる自転車操業とは違う。そうやって、あるコミュニティにおける安心したい人間の増加は、一方で不安な少数の人間を追い込む社会へ向かっていく。小さい頃にあれほど聞いた「うちはうち」というのはもうない。

娯楽の無い頃の暇人は早く死んだ。やる事が無いと人間のバイタルは弱まっておかしくない。かといってその辺の人が早く死なないために暇を埋めているとは考えにくい。しんどくても何もしないよりしんどくない、といった現象は決して健全なのかはわからないけど、それもある種自由だから否定するべきでも無い。

冒頭で忙しいのは嫌いという空気を出してみたが、予定が埋まるのを嫌がってる訳ではない。自ら埋めていく事をしないだけ。受け身と言えばそう。というか受け身じゃない暇って話がややこしい。

それに、ここぞというタイミングで予定に縛りがあるって不自由は困るよね。バーゲン価格で投資が出来るのに、その額すら持ち合わせが無い状況って悔しい。賢人は何をしたかではなく何をしないかが重要だと本で読んだ。スケジューリングとはする事を決めるのではなくしない事を選ぶ作業なのだ。

最近の人は持たざる生活にシフトしてると言っていたけど、それは物質だけで、抱える物は逆に増えてる気がする。結局どこかで持たない事を我慢できないでいる。人だものね、生まれたときから持たないと始まらないんだよ。そういえば持てる人と持てない人ってそういうことから来たんだっけ?
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