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そこに俺はいるのか

ふと、なにかのタイミングで我に帰る。それは楽しい最中だったり苦しい最中だったり。特に、何人かの中でいる時、自分の存在がそこにある事を不思議に思うときがある。全体のテンション、または温度と自分のそれが乖離していて妙な気分になる。

浮くと言った現象とは違う。そういうポジショニングと言えば間違いでもない。ただ、どこか全体の向かうベクトルの方を向いていない俺。何かをやり出してからの集中力が持続しないと言ってしまえば、結論はそうだろう。ただただ途中で飽きる。それに尽きる。

場に馴染む事で思考が集団化すると、一人当たりが何かを考える負荷が減る。ここでフィードバックが働く人とそうでない人に分かれる。行動派の人は後者で、俺みたいな腰の重い人間は前者になる。フィードバックは考えなくていい状況に反応して、その集団の向かう方向と逆に作用し、通常営業の自分に近付こうとする。一言でいえばノリを押さえにかかる訳だ。

フィードバックの敏感さは日頃のボラも影響するだろう。要するに、感情先行型で後から理由がついてくる人はフィードバックの利く一線が100にあるとすると、そうじゃない人は50くらいから利いてくる。

必要不必要を考えれば、特に人に関しては無意味な所もある。感情こそが一番どう転ぶかわからないし、だから人もまた興味を持つ。このところ、いくつかyoutubeに動画を投稿してみても思った。人が映ってる動画はアクセスが多い。俺の投稿した物は全体的にアクセスがゴミのように低いけど、その中ですら人が映ってる物は明らかに伸びている。

個人の誰かが求められればそれは大した物だけど、不特定多数の中の誰かですら人であるだけでそれは興味の対象になる。まずは居る事が要る。
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