∫マイナス成長
Retinaディスプレイというと、それはもう細かくて。フルに生かした状態では何もかもが小さく、年いった人には不必要なまでだ。今の所俺はまだ、その細かさが与える利益を有難く享受できるけれど、十年二十年経ったらどう感じるかはわからない。
現に、年寄連中は解像度なんて求めないし、対象そのものが大きく見える事の方が大事だったりする。こういった傾向は家電だけでなく科学進歩の影響を受ける物は全てそう。車にしたって余程興味やこだわりが無ければ、定年後何乗ろうという時には適当な軽やアクア、プリウス、フィットみたいな物を選ぶ。
これは単純にライフスタイルの問題ではあるけれど、自分を労った物や易しいインターフェイスで周りを固めるかっこわるさってどう思ってんだろうな。少なくとも重たいクラッチを踏んでシフトアップ/ダウンを繰り返すジジイの方が、エコカーで流してるジジイよりかっこいいと思う。
「最近の若い人は」
確かに昔からそう伝わっている。しかし、ほんとにそれだけか
「最近の老人どもは」
甘くなったのは若者だけではない。
年寄の言葉に影響を受ける所為もあってどうしても若い人間を諭すような言葉が残りがちだが、高齢社会が問題になる昨今、上のマネジメントに関しても一言誰かが残すべきだ。なまじ長生きがトレンドになる先進国化は、順を追って世界へ波及する。死ににくい人間社会で人間を殺すのは環境や自然ではなく、間違いなく人間だ。
一般的な組織でも、マネジメントと言えばマネージャー以下を監督するような風潮が無くない。上手くいってると思うならそれでいい。俺は少なくとも機能してると思った事は無い。一番仕事してる/出来る感を出すのもちょうどこの辺り。脂が乗り過ぎて食えたもんじゃない。トップは理想を見てるし低層も上を仰いでいる。真ん中だけが目線を下げる。
コストカットの話にしても、わざわざ共有しないといけないほどのものではない。基本的な考え方に無駄が多いから誰かに言ってもらわないと気付かない。挙句、車は剛性を失うほどに薄いボディや、がっかりするほどの質感で世に出る。そして人はしみったれる。
俺は何も食事だけではないと思う。吸収する物や触れる物がしょぼいと、人間的にとてもしみったれてくる。これが素晴らしいとわかる選球眼みたいなものが育たない。それが今の産業界の姿だ。もっと言えばより下流でも同様。最終的には消費者も同相。
そういえば、ドイツでは哲学者は非常に尊敬されているらしい。日本では哲学なんて全然フィーチャーされない。科学にしても役立つ事や実用ばかりの工学に目が行き、理学等の基礎科学には意味を見いだせない人も多い。
残念ばかりが積み重なっていく。