Header Ads

栗原は友を呼ぶ

自分と似たような人間が周りを囲む事は歴史的によくあるらしい。似た、というのはなんだか良くわからないが、収入だったり年齢だったり趣味だったり嫌いな物だったり、まあそんなんだろう。昔は俺もそうだった気がする。似てないと遊んだりなんなりが続かない。でも多少歳を重ねてそうじゃなくなった。むしろ違くないと間が持たない。飽きっぽい性格がそうさせているんだろう。今まで通りとか退屈で仕方ない。

このところ世間ではブラック企業なんてのが言葉としてよく聞かれる。事の是非は今はどうでもいい。ただ、うちも結構ブラックだと言う声を俺の周囲でも耳にする。言わないとやってられない面が無くはないし、言葉があるとそういう物だと定義できる分、抱える物が少ない。それでいて、以外にそういう状況を仕方ないと考えている。

自分はホワイトな企業にいるとして、そういう人がブラック企業の創造に無関係とは限らない。わかりやすい所で言えば、家電や家具や車を買う時に最初から値下げしか考えてない人間。ブラック消費者という。ブラック企業にブラック消費者。あるべくしてある。客だからと過剰に対応して、実体以上に図に乗らせる。サービスサイドはそこまでする義理も無ければ対価も受け取っていない。そういうバランスが維持されるにはどこかを破綻させる以外に無い。

L'Arc〜en〜Cielの砂時計の歌詞に
犯した過ち 気付かぬ人々は全てを許されるの?
というのがある。経験的に、気付けない人の多さには驚くばかりだ。勿論俺も例外ではないが。ただ、俺自身いつもその可能性を疑ってはいる。人を気遣えないのは無教養の最たる物だ。コミュ力に自信があっても教養を伴わないのは自己満足という。

金と受け取る商品やサービスを等価だと考える事が出来ない。それほどファイナンスにおけるインテリジェンスが低い。手数料あるいはチップは己がやらない代わりに人がやる対価である。サービスの悪さは自らの態度の悪さという対価だ。

日本に輸入される外車はデフォで上級グレードの装備が乗ってくる。日本車では当然付いてる物が付いてないと売れないからだ。標準の要求レベルが高い。

サービスしろ?
サービスして欲しいなら金を出せ

金持ちは金持ちの間で金を回しているという。それはそうだ。出してるからね。価値がわかるから無駄に値切りもしない。より安く買うのではなく、高いと思う物は買わない。社会階層によってこれほど行動がわかりやすく違うと、自分がどう振る舞うのがいいかは自明なのだ。
Powered by Blogger.