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わかる人にしかわからない空白の美

陰翳礼賛とは誰かが言ったけれど、世の中の即物的さとは随分な乖離がある。

世間では空白など、礼賛どころか煙たがられることしか無い。予定が空けば埋め、履歴書に空きがあれば理由を求め、需要のある土地は犇めき合うように詰まる。逆に言えば、そういう常と対比して、ある意味希少な点で礼賛と言えるかもしれない。じゃあ何が嫌って、そう思ってても誰も礼賛に向かわないことがである。

生まれた時には既にある程度の道がしかれてあり、小学校へ行き、中学校へ行き、より高等な学に進むなりなんなりと、幼年から十代のほとんどをシーケンシャルに歩くことが多い。極端な話何も考え無くったってことは進む。ステップを踏む手続きさえ滞り無くやれば、努力と言うか、注力した分の立場にはなれる。

「将来の夢はなんですか」
なんていう問い、幼稚園の頃から幾度となく聞かれる。将来にフラグを立てさせているのかと思えるほど。そして、おれは幼稚園の頃答えられなかったのが今でも記憶に残っている。椅子で円陣を作り、どこからともなく
「おれは〇〇になりたい」
だの
「わたしは〇〇になりたい」
と、よくすらすらでてくるなあと感心していた。というより”〇〇になる”という雛形で夢を発想するものなんだという感覚すら無かったよ。

未だにそうなんだけど、物事を簡潔にしゃべるのがなかなか難しい。語彙が無い訳ではないのだろうけど、いわゆるHDDで言うところのシークがパッとしない。そうかと思えば、たまに簡潔に結論づけるとドライだ配慮がないだ言われて面倒が増える。ペーパーテストのように空白を埋めるだけをいつまでも習慣にしない方がいい。

「次もう一周するから考えといてね」
幼稚園の先生がどれほどかを論ずる気はないけど、こんなん言われたら何かしら答えるしか無かった。
「じゃあ、サラリーマンで」
向こうも仕事で、本気でどうこうって訳でもないし、無理に埋めればそんなもの。

間違ってても後で誤ってましたって謝ればいいと思ってる営業トーク。なんか繋がるものがある気がするのは俺だけだろう

「まあ、なければないで見つかる愉しみがあるよね」
そのくらいは言って欲しかった気がする。素直で一貫性のある(?)俺は口にしたことを軽々しく撤回できないからね。柔軟性とかいって誤摩化す訳にもいかないし、結構引きずる。もちろん、メンタルに負荷がかかるほど繊細な神経でなかったのは唯一の救いだけれど、幼い人間に影響力を持つ人間が浅はかでは困る。

ただまあ幸いなことに、反面、非合理的な人種が比較的埋めたがりであることが多いので世の中にはまだ隙間があるんだよね。
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