結果と現実とオブジェクト
養老 孟司
中央公論新社
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都会が家なら田舎は庭トンネルは崩落するし、原発は防水でもない。とはいえ、それでも人々はこれまでずっと、家である都会にばかり手を入れてきた。手を入れたといっても、多くの人の手にあるスマホが防水なのに原発のそれは…というなんだかなセンスで入れて来た。
最近ニュースになってる体罰の問題は、言葉だけが先を歩いた結果なのである。放っといたりバカに合わせてると環境が荒れて仕方が無い。軽の税制も、原発の廃止も合わせてるだけ。金持ちの税率を上げる議論も合わせにいってるだけだ。世間は◯ホに合わせて動いている。これだけア◯を優遇し、システム化しても文句しか言わない。
現場がわかってなくはない上層と現実を理解していない下層、これが議論になるわけない。
拳骨かますだけが体罰だろうか、それは空気と流れと状況とバランスでも大いに変わってくる。日常的、習慣的、バカなことを言うな。ああすればこうなる、統計的にマジョリティだ、そんなものを自らの判断基準として絶対だと思う学の低さはもはや救いがたし
。安易な答えが出せないから教師は人である訳で、ググって見つからない結論を導く必要がある。
程度の差はあれ、頭で思うものと目の前のオブジェクトには違いがある。死のイメージと実際死んでいるのは全く別。ゲームが悪い悪い言われる一端は、イマジナルなものがその手で管理下にあることが大きい。ライフ一機のオーナー。だから生殺与奪を持ってると思う。
お前のじゃねえよその命は。
日本は田舎という庭を手入れすれば良い。人は脳という思考の庭を手入れした方が良い。勿論そのためには体というハードも共に動かさなければいけない。海が森や川や山と繋がっているように、部分修正は出来ないのだ。