俺・ザ・カントリー
つくづく思うのです。昔から好きに思ってる面だけはどうしても変えられないと。
不便だ不便だと嘆く割に、いざ田舎を目の前にするとほっとしてる自分がいる。面倒なのが幸せとは某ジョージ氏の決めフレーズではあるが、俺も例に漏れてないのかもしれません。そう言ってる時間こそが居場所そのものであって、言えなくなる虚無感がどこか嫌に感じてるのかもしれない。
人が人のために用意した整然たる風景、無機も無機な生の感じない建造。目にする度、そこにいる体はとても狭い場所に閉じられたような気持ちになる。いわゆる生理的に無理というようなことです。
日常が如何に幸せかは、それこそ非日常の対比で存在するわけです。慣れるとは良くも悪くも現状への印象を薄くします。平常状態の幅を超えない限りその内にいる気持ちのよさを実感することは難しくなります。
「欲しいものは自分の足下にあった」
とはそういうことで、なぜ遠回りしないと気付かないかは、逆説的に気付くための遠回りとなるわけです。おれは回り道のし過ぎで足下がおぼついてませんけどね。
今はもう、いろいろ整いすぎるくらいのソサイエティ。枠の堅さに息が詰まります。その詰まる息はまた非日常で息継ぎするような傾向ができてくるともう堂々巡りになってしまって。滑車を回るハム太郎みたい
