Header Ads

〇〇王

俺は奈良に生まれながらほんの数日前まで土倉という人を知らなかった。吉野杉は有名だし、母方は木材業の家だったので、かつて木を売って金持ちになった人が多くいることを話には聞いたことがあった。しかし、山林王土倉なんてのは初耳だった。奈良にいても奈良を知らないのはままあることだが、日頃奈良をバカにしている割には奈良の”な”の字もわかってない気がして、なんか悔しい。

森と近代日本を動かした男 ~山林王・土倉庄三郎の生涯
田中 淳夫
洋泉社
売り上げランキング: 193465

世間には不動産王であったり石油王、山林王また海賊王もいる。これらはいずれも地面を持ってたりアブラを持ってたり山を持ってたりクルーを持って(?)たりするけれど、かつてただ「王」と呼ばれた人は何を持っていたのだろう。勿論平たく言えば国を持ってる。それには当然土地を含め、資源やなんかもそうだし生きた人間は言うまでもない。

ただ、近代の◯◯王はかつての国主とはなっていない。しかし、力は国主より持ってるかのごとく。本書にも明治の政治家が挙って吉野に訪れていたことが書いてあったし、外遊と呼ばれた政治家の出張費みたいなのも、その出所は土倉にあったそうだ。

以前会社は誰のものかという議論が流行ったけれど、国に関しても似たような面がある。会社は金を出している人のもの、国も金を出している人のもの。ねじれと言う観を感じるのも無理は無いが、あくまで持ってる人を明確にしているだけの話。金持ってる人、土地持ってる人が誰かと言ってるだけで、持ってない人をないがしろにするとか、そんな話ではない。

まあ確かに、逆転していて上手くいってないと思うのは現実あるかもしれない。例えばタイヤの左右で螺子が違う向きに締まっているのと同じく、違和感はある。ドバイやアブダビといった中東の国を見れば王以下に民がぶら下がりトップダウンもよく機能しているように見える。日本は王を昔から政治利用してきただけという見方も否定は出来ない。

ひとえに、アジアは地球環境的に豊かさを享受して来た向きがあるから、産業革命でもしなければその豊かさに追いつけなかった欧米とは取るべきシステムが違う。このところの脱原発流行を見てもグローバルという言葉とは裏腹に西洋との齟齬は大きい。原点、原理原則に戻れば一国のボスは小手先の思想を語らず、大展望を語るべきで、脱原発と言わず、某元首相のように神の国くらい言った方が官僚の優秀さを行かせるように思う。結局小利口な人は親分肌が好きなんだよね。

選挙前だけにいろいろ考えちゃったなー
Powered by Blogger.