泡に見る人の関係
俺は他人にいちいち口を出すのも、出されるのも好むところじゃない。特に
「これは良いことである」
という不鮮明な理屈を盾に、己の意見を押し付けてくる奴は始末が悪い。
市場と私情を分けないが如く。というより、寧ろそういう分別がついていないのが問題なのである。よく、仕事とプライベートということを聞くけれど、誰かの勝手な線引きに付き合う義理は無い。各々に原理原則が無いのが、そもそも食い違いの発生する所以なのだが、そう思ってこちら側が首尾を一貫させると、これまた話のこじれること少なからず。
今日、どこぞのニュースでも出ていたが、レクサスやマツダのデザインの統一にもそういったことが繋がってくる。西洋の方ではプリンシプルというものが備わっているといった人がいる。上で言った原理原則みたいな話だ。従って、車で言えば
「どう見てもアルファロメオ」
って言えることがそれにあたる。日本だとどうだろう、いかにもトヨタだなって言えない気がする。
ある人の根底にあるものを周囲がはっきり認識できないと、どこから議論をはじめているかも曖昧なまま、必要の無い摩擦でお互いを疲弊させる。逆に言うと、根がわかっていれば適当な暴論ですら理解することも難しくない。加えれば、根っこがあるなら何でも良いわけだ。
一番面倒なのが人におけるその根っこが、社会である時だ。これこれこう生きてきた人の人たる部分、それが社会一般のマジョリティに思えた時、俺は嫌になる。別にそんなこと聞いてねえと。
自分というフィルターを通す時に、流れてくるものでどうしても通るものと通らないものに分かれる。通るものだけを理解し通らないものを排除していくというのも一つ。通るようなフィルターに変えるのも一つ。通るように対象を変えるのも一つ。どの選択肢に優劣がある訳も無く、そこにある現象なのである。営業じゃねえんだからこっちのフィルターが良いとか言ってんじゃねえ。要らねえよ薄汚いフィルターなんか。
