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区切る

一年というのは大体同じように巡ってくる。人はある時期が来たら同じようなことを言い、同じような行動をする。季節という区切り、一日という区切り。つまり、あるクラスタについて認識する。流れるままに、というわけにはいかないようである。

気付けば区切られた現象に慣れているが、そもそも区切るというのは人の本能的な行為なのだろうか。その辺のオサルさんが季節を概念として感じるとは思えないけど、言ってみれば縄張り意識みたいなのの延長とも考えられる。進化論をどうこうではなく、現象の類似性みたいなのではアダムやイブに説得力が無い。

単に動物なら、元ある自然を自分で切り取って終わりだが、人の業はもっと深い。家を完全に自然のものとは違う環境に変えてみたり、もっと手を広げて町を作ったり、更には地球環境を持ち出して宇宙に出たり。人ひとりの行為でも同じく、ペットのケージを作ったり、水槽を作ったりもそう。

このところのエヴァン◯リオンだって、俺にしたらロボ一般な訳だけど、それもやはり人型というところがその故で。かつてHONDAだかどこだかの自立二足歩行ロボが出た時も、技術的には良いかもしれないが実用としてその形でなければいけないのかと思っていた。

しかし、基礎研究が何かの役に立つ事を想定して研究を始めないように、大概は好奇心に依る。じゃなきゃいけないわけでもないし、かくあるべきなんて実にナンセンス。そう思えば区切ることにも大した意味はなかったりする訳で、下手な考えなんとやら的なことになる。

まあ、俺は既にその如くだけどね
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