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流されて

進化論を受け入れていない人がアメリカには少なくないそうで。日本はなまじ教育がゆきとどいてる(笑)所為か、アダムとイヴのような件はファンタジーだと思っている。しかし、進化論も証明はされてない以上、それらしいというものに過ぎない。

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その辺の人と話していても思う。習ったことが全てなんだなと。学校という教育機会を離れ、一旦社会の人となって以降まったく教養に手が加えられてない。そんなで新聞読んだりテレビ見たりしてコメントしても、的外れにしかならない。言ってみればバナナでリンゴジュース作ろうとするようなもんだ。

家入レオのLast stageの歌詞にこうある。
コピーのように人が刷られてく
今多くの人が躍起になってることは、このコピーを如何に綺麗にするかというだけで、コピーをしないというところには行ってない。ちょっと脱線するけど
「コピーは裏まで使って経費を削ってます」
とか
「節電しましょう」
とか、これがコスト削減の結果だと自慢げにいわれても全然ピンと来ない。正味のところ、コストを削る意思表明は無能の最たるもの。これしか出来ることがありません、そういってるようなもんである。

社会はコピーするところから始まる面も確かにある。まずいのは、そのコピーを教典にして布教するところだ。同じような価値を求め、モデルを継承する。宣教師じゃないんだから、誰の話を誰がしてるんだってわけ。大人を語るなら自分の目で見た一次情報で語るべき。

そう考えると、階級の差って何次の情報に触れてるかで変わる気がするね
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