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日々を

プーチン還暦

いろんな60才がいるんだと思う今日この頃。反面、自分の60才なんて想像も出来ない。それどころか数年先すらさっぱりだ。小さいうちはどうしたいとかどうなりたいなんて言っていられても、大人になるとともにそうはいえない事情が絡んでくる。

長期の大願よりも短期の必要で日々が過ぎる。それこそ何のための毎日かといいたくなるが、考えても仕方ない。ただそこにある日をいちいち理由付けなんてキリが無い。そういったことは言ってみればブログを書くためにネタを作るようなもんで、目的とプロセスが逆転している。歪な現象はアルコールや麻薬と同様、使う側から使われる側に人をシフトさせる。目に見えるものから見えないものまで、人間がその内に取り込む時には常にその副作用も付いてくる。

無い物ねだりとはよく言ったもので、俺のA面は誰かのB面、誰かのA面は俺のB面。等しい認識の下にあったとして、なぜ手にするものを違えてきたかを知る人はいない。常に無いものを求めるという点で、生きる理由などもそう。先に生きているという現象があるにも関わらず、理由が無いだけで死にそうな勢いだ。おかしいと言えばおかしいが、人とは矛盾をはらむ生き物だといえばそれで収まりがついてしまう。

人の歴史の中で言葉を覚え文字に残した結果、何より先に有った肉体をよそに言葉で縛ってしまった。脳の一部の機能でより高次なものを記述することはまさに宗教のお家芸で、神を想像した諸教に久しい。俺が日毎、神を信用できなくなっているのは人も作れない人間が、神などを語るに値しないと思っているからだ。

いや、まったく、何の話をしてるんだか。
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