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原型はある

昭和の奈良大和路 入江泰吉の原風景 昭和20~30年代
入江泰吉
光村推古書院
売り上げランキング: 200895

どこが変わったのかわかるくらい変わってない。
どういうことやねん、というかそういうことだ。

一見して、この場所はあそこをどっちに向いて撮ったんだなあとわかる。もちろん、山やなんかの大きい目印があってのことだけど、それが今でも見えるということが大事。高層マンションも無くギュウギュウに家が詰まっても無いので、ある程度脳で景色をさっ引くだけで今昔を重ねあわせることが出来る。

俺は奈良に愛着も無いけど、古地図と比較してその辺を歩いてみたいとは思う。ただ、どの時代の古地図をどのように入手していいかイマイチ定かではないし、山辺の道ほどメジャーなところには興味が無い。たまに写真で部分部分を比べてみるくらいでいい。

しかし、意外に十数年前くらいでもネットで探すとピンポイントでまともな写真はまあ無い。何かこう、年代別Googleマップみたいのを新しいサービスとしてやれないかくらいに思った。需要があるかは微妙だけど。というかそもそも素材の集まりが微妙かな。

なんにしても、ふとアレはどんな景色だったかと思った時に、そばかすの歌詞のようでは困るし、気になると妙な気持ちが湧く。一方で、何でもデータに残ってて、求めてるものが簡単に見つかってしまうことに幾分懸念があったりもする。その辺複雑なのだけど、頭で紹介したような本が店の棚に置いてあったら、ついつい手に取ってしまうよね。

自分がなまじ写真なんて撮るようになったもんで、似合いもしない振り返るなんてことを出来てしまい、気持ちが悪い。なんだろうな、楽しかった一瞬に縋ってでもいるのかと疑いたくもなる。が、さはありなん、幸か不幸か本当にそれは楽し「かった」であり、今同じ認識は持ってない。寧ろ、そうでなくては前を向いて生きてられない。

昔だったら幸せな情景や楽しい思い出に浸りたかっただろうが、人生がそんな明るく晴れたもので満ちているなんて今じゃ考えられないね。人並みでいるくらいならいっそ、と思うほどに心は変化している。

情報は変化しない分、時間発展で人の心からは多かれ少なかれ乖離する。それが成長というものでしょうか、いいえ多分違います。
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