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変わらない俺がそこにいて

最近は子どもたちが軟弱なのか気候が厳しいのか、熱中症で倒れるニュースをよく耳にする。俺が小学生の時は倒れる人なんていなかった記憶がある。

数日前、掃除をしてる時に、たまたま俺の幼少期の連絡ノートが出てきた。
「運動会の練習を真面目にやりません」
なんかそんなことが先生のコメントとして書かれてある。たいして体力も無い俺が倒れなかったのはそんな不真面目さがあったから、かどうかは定かではない。そもそも、学校でやらされる行事という行事をめんどくさいと思ってたことは確かである。そして、それは大人になってもさして変わっていない。

他人に変わったと言われたり、自分でも何かしら変わっていると思ってはいたけど、実はそうでもない。細胞分裂を繰り返し、無かった面が出来たりはしたけれど、永年残してる部分も少なからずある。秘伝のスープや水槽の水みたいに残しつつ入れ替える的なものだろうか。

思えば、その根底にあるものが原因で何かと社会に不適合さを持ったりなんて事は多分にあるわけで。それが均一さを目指す日本の教育とはやっぱり相反する。要するにどっかで合わない感じはずっとずれたまま生きていく事になる。原理主義はこのズレを許容しないから争いを生む。否定して普通にして、何も無い。

そういう時期なのかな、時勢?まあどっちでもいいや
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