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十年と努力

るろうに剣心 新京都編 前編 焔の獄 [Blu-ray]
アニプレックス (2012-03-21)
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剣心の登場当時の年齢は28、その後OVAやらで年を重ねてはいるけど、まあいいとして。来年にもなればおれはそこに追いついてしまう。14の時から人斬りをやって18,9から10年流人なんて、この現代ではあり得ない。まして平成の日本では。別に年数のことはどうでもいい。

問題は中身の方。
人斬りをやってんのが中身あるかといわれるとちょっとわかり兼ねるが、中学生やったり高校生やったりしてるのとは随分感じるところに差があるのは確かだ。生まれや育ち、と都合のいい言葉に逃げてしまうのは思慮のなさだけれど、それを思わずにはいられないのも事実である。

素直に努力出来る人間ならどうという問題は無い。しかし、豊かに生まれ平凡に暮らしているだけの人間にそれを強いることは理由もなしには難しい。もっと言えば、自分の理想に向けて純粋に努力出来る環境にいることもそう多くない。なぜ自分はこれほどがんばっても報われないかというのは、努めても〜のくだりよろしく、そういうものである。稀に努力が実るからこそ努力の価値が礼賛される訳で、すれば応えてくれるような因果があれば誰も努力の素晴らしさを説くなんてことはしない。

せずによくなることもなし、しないでわるくなりぬれば、ただひたすらにしつづけるのみ

神に逃げなかった宗教の開祖は、生きてる間ずっと苦しいと言った。神に逃げた宗教の末も極楽は死後にあると言ってるようなもの。人生一度きり楽しく〜なんておめでたい人間も少なくない昨今だけど、おれはそういうの好きになれない。

そういえば、二十代のがんばりが生涯賃金を決める的な本があった気がするけど、その二十代のがんばるベースは十代のがんばりにかかってくるだろうし、十代のベースもまた幼少期の生活にかかってくる訳で。つまるところ、自分にどうか出来ると期待するころにはどうもならないことが多いと思った方が賢明だという気もしてくる。階級に縛られずとも社会に縛られずともなんて、それ以外の要素に柵が一切無い時に初めて言える。

一般的に理論というものは都合が悪い不確定要素は排除して考えるので、ああいったことを本気で信じてる人はちょっと異常。NH◯のニュースや新聞記事も似たようなもの。眠たい話を朝から晩まで過去から現在へ流し込まれて、どうかしている。バカは休み休みで済むけれど、休み休みの他は苦しみに満ちている。幸せという瞬間はそのプログラムのバグというかイレギュラーみたいなもの。その割に、ずっとイレギュラー気味に生きてきたおれが常々幸せを感じているかというとそうでもないところが実に残念。

そりゃあその辺のドラマなんて霞むって言うものだ
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