みながすなる
小学校の時、日記というのを初めて書いた。
今でもはっきりと内容を覚えている。
どうでもいい、余りにくだらない事であるので内容は省かせてもらうが、いつどこで誰となぜ何をどうしたか、ということのうち、おれが記したのは誰とどこでどうしたという感想だけ、今でいうツィッターのような規模だった。
して、それから二十年経った現在。日本語もまあまあ使えるようになり、学も浅いながら得てそこに戻るって如何が。
別段悪いという訳ではないけれど、人の脳は筋肉と同様同じ負荷では現状維持が関の山である。まして、自分が考えている事のクラスタが小さければ、一回に処理出来る量もそれに合わせてしまう。定期的に吐き出す文章量が140制限だと、その十倍の文字に必要なエネルギーも同じく十倍かといえばそうではない。140*10=1400といかないのが非線形な人間の不思議(?)
ただ残念な事に、俺の書いた文章は大概140*10方式になっていて、一定のテーマに絞って1400の塊になっているものが見つからない。効率、という事をバックグラウンドで補正しているのか、まるで車のエンジンが1シリンダーあたり500cc程度に設計するという思想のようだ。
根本的に集中力の問題なのだと思うけど、おれが特殊なのは取り組む器に対してそれが調整される点だ。好き嫌いと言って間違いではないものの、志向や得手不得手に比べてイマイチ説得力に欠ける。
そんな事言ったところで、長ければ良いというのはこれまた原理主義的でどうにも悪い。まあ、ちょうど時間も時間でぼーっとしてきたから寝るとしよう。しかし、噂によると脳は寝ててもたいして休んでないのだそうで。