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それでも優秀でいたいのか

世界のホテルをはじめ、お店やなんかのテレビがパナ/ソニーからサムスン/LGに取って代わっているそうだ。それは比較的にサム / Lの性能が良いからかというと、おそらくそうでは無いだろう。そんな事誰でもわかっている。HDではなくブルーレイが主流になったのもブルーレイの方がハイスペックだったからではない。それを採用する人が多かったからだ。

技術で勝ってビジネスで負ける。

円高の今なら余計そう思えてしまう訳だけれど、問題はそれ以前にもちょっとある。金融系以外の人の声が大きいこの国では「技術で勝つ」という言葉がとても気にいられていて、それにすがる人が多いような印象がある。


移転可能な技術をいくら磨いても—というと語弊があるものの、高機能という優位性が誰に向けてのものかという点がいまいち定まってないと意味が無い。

例えば車に関しては国内で売る気がないからあんなでかいボディになる訳で、安全性とか居住性は一応の建て前にしか思えない。でかい欧米人ならまだしも、日本人みたいな先進国でも細い人種が軽狭いなんて言うとは考えられないね。仮に言ったとしても軽に乗る層が狭いの気にするってのが残念だ。

そういう歪な感覚がおかしな優秀さにも影響する。

よく日本人はとても真面目に勤勉に物事にはげむと思われがちだが、少なくとも管理が行き届いた組織ではその場しのぎの、実利的ではない評価を基準とした統制の又は法の下に行動している。業務の遂行率を管理職にいる人間が鑑査に来るとなった時、その前の日に都合を合わせるというような事だ。

本質的な事を言えばいつもその状態である事が鑑査の評価なわけであるし、鑑査のために準備する意味は組織としてもシステムが機能してないようなものだ。そんなのは中学や高校で小テストの結果がいいから受験に上手くいくと思ってるくらい相関が低い。

優秀と言われるのが実利的ではなく実映りが良いだけである事が多く、そんな事は今流行の粉飾決算に繋がっても仕方ないなあと思うわけで、何が変われば解決するものかと考えるとそういう合目的的な傾向になってしまうのではないかと。

しかしながら、多数派が合理的になると地球の資源を数日で枯渇させてしまうと言う話もあるからね、パッパラパーが多数いてくれる事はある意味で正解な気もしている。
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