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神秘のコスモ

見せびらかすイルカ、おいしそうなアリ (飛鳥新社ポピュラーサイエンス)
パット・センソン
飛鳥新社
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タイトルから想像出来るような気もするし、想像出来てしまうとちょっとどうしたのという心配もしてしまう。

その、気になる内容はトゥットゥルー♪
只管に、虫や動物のトゥットゥルー♪
なんかねえ、神秘だよ。
人間て普通だなーって思う。そんなねえ、螺旋でもなければとげとげしたアレももってないし(?)

むかし、朝の番組でなるともってあったのだけれど、そこで一時期このネタを特集して随分人気だった。人間のじゃなくても興味持っちゃうところが動物のくくりに生きてると実感出来る瞬間なのかもしれない。

生きるってつまりは生き残ることで、今年のように天災で考えさせられっぱなしだと嫌でも意識するだろうけど。小利口に理屈で納得するよりも本能がそう語りかける。頭では最終の認識しかしていない。体の何もかもを意識下で操作出来ないように、意識は体という寄木が無いと機能しない。

さて、虫の偉大さはそのスペックの高さがやはり目に付くところであるが、形成という点においてとても消費というか消耗的だと感じている。クモが有名なように、行為の後はメスのエサになってしまう場合も少なくない。首を捥がれそうになってより力強くなってしまったり、まるでセイコウな機械だ。可能な限りその能力を使い果たし末はゴミとなる。まあ人間も平たく言えば変わりないが何とも儚げだ。

さはありながら、人は忙しくする事で字の如く心を殺し耐え難きに耐えていることが多い。災害で住めなくなった家や流された車はその時間の一部だ。おれはいつからか所有する面倒さと負担から持たざる生活にシフトしがちになっている。無くしたり壊したりする度持つ気が失せるというか、必要にかられて持ってるだけになってくる。

使い捨てが悪いような説が世間には無くない。しかし、自然の摂理から言えばなんでも使い捨てだ。いずれ捨てる。まあ、虫の関係ほど人間は潔くはないけど。
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