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アイハブプリンシプル

イスラームから見た「世界史」
タミム・アンサーリー
紀伊國屋書店
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世界史の勉強不足なのか、それともイスラム教について知らな過ぎなのか、とにかくほとんど初めて目にしたような話に感じた。単語単語は聞いた事もあるし意味もわかるのだけれど、その意味も半ば誤認と言っていいし中抜け感がピーキーなターボ並だ


偏重、という程ではないものの知識的な偏りはあって、イスラムって言うと911カレラではなくテロの方が頭を過るジェネレーション。日本の低インテリジェンスメディアと差が無かったかもしれない。

だいたい、タイトルよろしく先進国と言われる世界では常に共通のタイムラインとしてキリスト歴を使う。日本史すら西暦でのみ認識出来る。皇紀でやればいいのかもしれないけど、ただそれは今更だし660ずれるだけだからこだわる必要は無い。

問題は暦というよりそれを受け入れた事による文明的な歪曲にあるような気がしている。実際、戦後から高度成長を経てくる間に日本は各所で西洋化されてきた。西暦もその便利さと言うか、英語のような共通性を一種含んでいたからメジャーになりつつある。それは言葉にすればグローバルといって日本の経済活動が欲しがるものだ。しかし現実はどうだろう、円安とそれにかこつけたモノづくりで栄華を極めた時代は去り、天災と老害と赤字国債に悩まされる衰退国家に成り下がった。

今、ミドルワールドは勢いを見せ始めている。

あの世界が宗教と切り離せないのはムスリムはなったら最後までムスリムだからだそうだ。それが彼らのプリンシプルだとすれば、一つ覚えみたいに原理主義といって終わらせる人々よりよっぽどまともな気もする。そういう点で戦後の日本に生きた日本人にプリンシプルなんて持てなくてもどこかしょうがなく思える。でも、だからといって歴史という情報が変わらない物である以上、どこかでそれに気付くべきだった。

日本は長い歴史を持ちながら振り返るのはいつも幕末か高度成長だ。龍馬だ松下だって百年そこらの人である。京都が折れないのは"千年"王城と呼ばれる重みがあるから。イスラム諸国は1400年の重みをもっているようなもん。長ければいいという訳でもないけど、意識するクラスタの大きさって許容の度合いだから覚悟って絶対違う。

一神教は神を盾に行動を疑わない。それが出来ない日本人はそうするべきじゃないだろうし、仏教徒というほど敬虔さももってない。無いのに歴史が長々と続いているこんな国に、もっと根拠の無い自信を振りかざせばいい。

史実の正誤なんて最終的には俺から見た世界史に尽きる。だから世界を知るための一歩にこの一冊。

自分の足で見れると一番いいけどね(笑)
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