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平の成り

平成という字のごとく、平らな世界が続いていた。この二十余年は「失われた」と言うよりも「平坦だった」時代というのが相応しい。何かしなければいけないとか、何もしない事が駄目だとか、維持しようとすると衰退するとか、そんなくだらない話が幅を利かしていた気がする。

ショーペンハウエルの「足りなくて飢える事と満たされて退屈する事の間で揺れる運命」という言葉が頭を過る。

人は適度にストレスが欲しい。スポーツはその最たる例で、適度なストレスによる緊張と緩和を繰り返す。

世間で話題のクールビズ、いやスーパー(時にはウルトラ)クールビズの件も例外ではない。本当は涼しいし快適なのにあえて暑い方を選んだり。そもそもアロハシャツのクールビズもいちいち議論するほどの事ではなく、各々の裁量で柔軟にやれば良いもの。人の目も何も電気が無くてクーラーが点けれないならそれにあった行動に変える事は最良。汗まみれのスーツの人間とさわやかなアロハの人間のどっちが相手に不快感を与えにくいかって、そんなに判断に難しいだろうか。人によって変わるとか、マナーのプリンシプルって何。

習慣を原則と思い込む脳

普段は菅サンをはじめ政治家を叩く割に、いざ危機的状況になった時にそんな政府が機能すると思ってる。それは都合が良すぎるというおれの解釈は間違っているだろうか。おれにはその異常さを理解出来ない訳だけど、世間はそうでもない。なんというか、政府の吸収出来る事例って基本的には過去に依存するだろうし、情勢にもよる。おそらく壊滅的な状況でも何にも出来ない政府の方が世界には多いような印象だ。先進国の感覚なんてそれこそマイノリティだ。ガラパゴスは大いに結構だが、甘え過ぎてる方を心配するべきではないのか。

小学4年生の時に自分の体は自分で守れと言われたし、その通りだと今も思う

ジャイアンはのび太に「お前のものは俺のもの」と言ったのは有名な話だが、前後の文脈が無いとただの暴君と言われても仕方ない。しかしその実これは白ひげの縄張りの話も同じで、強大な力の傘下に入る事で弱者を守る構造になっている。傘下のものが脅かされた時に上が黙ってないというのは何も不自然ではない。ただ、そう思うとドラえもんのストーリーはジャイアンというアメリカにのび太という日本がバンドルされていると言う話のようにも感じる。

ドラえもんはメイドインチャイナですか?
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