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白いバラ

今日は父の日だそうで。世間では何か贈ったりしてるんだろうか。

おれにはそもそも贈る対象がいないのでより関心は低くなってしまうのだけれど、かといっていれば何かするかというと多分しない。母の日やクリスマスや誕生日も、はや何年スルーしている事か。

狂気と家族
狂気と家族
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R.D. レイン A. エスターソン
みすず書房
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いろいろ考えさせられる本だ。というより、読んでるうちにおれは大丈夫なのかと気になってくる。なぜなら実際の症状はもとより自覚出来るのかが微妙だから。

空気がそこにはあるのに、ある事に気付くのは存在してからずっと後のこと。背景放射的な事だけではなく明らかに気付いている人の存在にだってそれは例外じゃない。恐らくだけど進化の都合上人間は急激な変化以外には鈍感な生き物になったのだろう。それはセンサーを利かせ過ぎている事によるエネルギーの浪費を避けるためなのかどうか、原因は知らない。

そんなだから自覚とはもっと難しい。

何せ自分というのもよくわからない。それに気付けといわれても何を探しているのかもわからない。だから、自分探しなんてのは一生かけても果たせない可能性が高い。時代が時代なら悟りを開くリスクと良い勝負かもしれない。

よく本当に探していたものは自分の足下だったり振り向いたそこにあったり、とても自分に近い場所、何なら自分の内に存在しているという。かといって

アルケミスト―夢を旅した少年 (角川文庫―角川文庫ソフィア)
パウロ コエーリョ
角川書店
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を読んだおれがその事を知ったとしても、探し物がすぐに見つかるかというと決してそんな事は無い。世にあるハウツー本が意味ないのはまさにそういう事だろうけど、今は横においておく。

しかし、こうやって毎日何らかの本を読んでいると自分が何を考えてるのかわからなくなってくる。逆にアウトプットする中では散り散りの欠片がくっついていくような感覚になる。入れたら出す、思う前から体がやってる事はとても正しい。

だからこそ体は健全に保たなければいけないわけだけど、家系的に男は代々癌で死んでいる。祖父母と従兄弟くらいまで枝を伸ばすと本来生きていると男女同数なのに対し、現状は男が3人少ない。おれの直系だけでいけば両じいさんも親父も3人とも癌で亡くなっている。生粋といえば生粋。でもこれは相関であって因果ではない。

ただ、そうだね、最終行き着くところが死という点においてそれは自分の内にある事は確かだ。

小人得ると住む
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