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そうか

「生きる意味」を求めて (フランクル・コレクション)
ヴィクトール・E. フランクル
春秋社
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優れているということについての記述。
怖いにも関わらずここにいる僕と、怖さを感じないからここにいられる君。
 人が選べる自由は感じ方ではなくとる態度の方であると。

ああ、確かに思ってても行動に反映されないとか、その逆はよくある。本能のままになるのは酒が回ってきた時ぐらいだ。

さて、生きる意味

このところの日本における人間の社会行動は金のためと言っても過言ではない。多くの金は要らずとも日々の生活を維持するために金に支配されて、多くの人はそうやって拘束時間を金に換えている。週に何時間もコンクリの箱詰め。発散と緊張を繰り返す日々。勿論これは俯瞰してそういう風景に見えるだけで、局所的なことや個人レベルの差異は含んでいない。

俺にはもとよりそういうのが上辺だけでも我慢出来ないような、反社会的なシステムしか組み込まれていない。というか、楽して楽したい。苦労しないと手に入れられないとか、無い。

天からの失墜による罪の意識を持って生まれた人という考えを持ったキリスト教の誕生と、それに伴い生まれた働かざるもの食うべからずという植え付け。誰もそんな発祥を知りもしないが、言葉だけが先行し中身を疎かにした。まるで日本人の振舞いそのものだと感じてならない。行動の理由は習慣。だから、いつまでたっても合理的にはならない。もうその反動は来ている。壊しては再生という流れのほんの始まり。

意味とは言ってもわかったところでどうしたものか。凡俗は理由を聞けば、理解してなくても納得はする。その程度なんだからさしあたって必要不可欠なものでは無いように思うのだけれど、それこそが凡俗が凡俗たる所以なのである。めんどくさい種類だ。

そんな種が果たしてこの本を手に取る機会があるのかはわからないが、図書館においてあっても長い間手あかとは縁がないであろうことは容易に想像出来る。まあ、そのおかげで俺が読む本はいつも綺麗に読めるからありがたい。
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