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サムシング何か

脳とサムシンググレート (5次元文庫マージナル)
茂木健一郎 村上和雄 養老孟司 竹内薫
徳間書店
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「一週間後に検査結果が出ます」
「その間に心筋梗塞で死んだらどうするんですか」

まさかそんなことは考えもしなかった、つい最近病院へ行ってまさに一週間の検査待ちの期間を経たおれは。というより熱で朦朧とする中そんな返しは出来ない。

しかし養老さんっておもしろいよね。自分でひねくれてるというけれど、インテリの有る無しで全然違う。
で、こういった話で何がいいたいかと言うと、要は人は変わるということだ。ずっとおれはおれという認識はしてても昨日とは既に違う俺で、生まれたときからはどれくらい変わったものだろう。「変わるもの」と言われて「ああそうだ」と思うのは自分の至らなさでもあるのだけれど、自覚せぬまま年を重ねていかなくてよかったなあとも思う。

振り返ってみれば、同じ状況で子どもの頃にとった行動を今の自分がとるとは思えない。病院の例で言えば、一週間も経つと結果の如何によらず治ってる可能性も多分にある。一週間でも変わるのに十年二十年で変わらないわけない。変わらないのは情報だけだそうだ。

変わら無いと言えば生活習慣も変えられない人が多い。これも自分は変わらないとか、未来永劫変わらない理屈があるとか思ってるからなのだろう。言い出すと例はきりがない。なにしろ旧来型の(主に戦後に根付いた)生活がロールモデルだと勘違いしてるあたりが痛い。
今や大家族の生活はメディアでネタになるほど貧しい風景だ。昔は社会全体がそうだったからさして珍しくもない現象だった。それに経済が上向きで結果的に消化出来る負担だったとも言える。
今は教育にも生活にも金はかかるし日本に限っては経済の見通しも期待出来ない。そんな中以前のようにマイホームを買いそこそこの収入で子どもを育てたりなんてのは難しい。挙句国の政策如何で子どもを作ったり作らなかったり、そうじゃないだろと言いたい。

標準なんて時代によって変わるし何を前提に標準なんて思ってるのか理解に苦しい。平和な時代の何が一番問題かって、今の生活がずっとそうであると思い込む点だ。世界は変わるし人も変わる。技術の進歩だって何だって同じところで止まりはしない。

誰より早く情報を手に入れた人はその利益を享受出来る時代だけれど、情報に埋もれて身動きが取れなくなっていては本末転倒。情報とは変わら無いもの、年寄は情報の固まりだと養老さんも言っている。

メディアもメディアで右から左へ情報を流すだけの媒体になっている。東電の情報公開に際してもそうだ。伝えるものが遅れてきたからと東電に文句言ってんじゃない。無い情報なら自分でとりにいけ。俺からすればぼさっと待ってたテレビ局の方が態度が気に入らない。アナウンサーなんか末端でしゃべってるだけなんだから自分の意見をもっと意味あるものに昇華してなんぼだ。頭の悪い奴ほど限られた知識を目一杯引き出してしゃべるから全然的外れになる。今はもうそういうのいらない。

あ、いつの間にか本の感想じゃなくなっている。
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