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地図は好きですか

I like a map.

増補 地図の想像力 (河出文庫)
若林 幹夫
河出書房新社
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旅行の時しか地図を見ない?
道に迷った時にしか地図を見ない?

もったいない。暇があったら地図を見ろ


最近めっきりグーグルマップに偏っているけれど、おれは小さい頃から地図を見るのが好きだった。マンションの窓から見える景色はあまりに狭く、いつも「あの山の向こうってどうなってんのか」と、遠くへ行きたい気持ちがずっとあった。しかし、その向こうを詳細に知るにはあまりに時間を要している。遠くへ行きたいと思っていた5,6才当時の世界観は壁にはられた世界地図だけ。まだ東西ドイツもソ連もあった頃のだ。

それから義務教育の過程で社会の教科書を手に入れ、日本地図や統一ドイツとロシアに変わった世界地図を知った。学習用の地図ということもあり色分けがされた地図だったのだけどロシアと日本の色分けをピンクと赤にしていて、北方領土の境が非常に分かりにくかった記憶がある。今思えば出版側の作為だったのかと勘ぐってしまわなくもないが。

おれは基本的に興味のある授業以外は自主学習の姿勢が強いので社会の時間は黒板の写経を秒殺しては地図を見ていた。ここってどんな風景なんだろうとか、巻末のデータを見て勝手にランキングしたりして暇を潰していた。その時に近畿の地図をもっと入念に見ていれば方向音痴の解消、とは言わないまでも少なくとも地元で迷子になることはなかったのではないかと少し思ったりする。

ところで、この本はそういう”地図楽しい本”というよりも地図の歴史や、その世界認識といったような事がメインになっている。それはおれの地図の楽しみ方よりも知的な想像力が必要だ。少年のおれにプトレマイオスとかラテン語の話をされてもまだ食いつきは浅かっただろう。今はそこそこ分かるけどね。というかわからないと成長してないようなもんだからね。

上でソ連やドイツの話を出したけどそれも想像力の問題で、国は変わるし消える。今の時代だと情報が上書きされていくプロセスを受け取るが、大航海時代に見られるような認識では新大陸「発見」のように世界自体が広げられる。当地の人々にとっては元々いる場所でありながら、ヨーロッパ中心の知識はそう記述する。蓋し文明の中心が客観の代表になるためにそれは仕方のないことでもある。

アメリカ大陸はコロンブスやアメリゴベスプッチではなくヴァイキングの方が先に上陸していたり、文明の中心でも局所的な動きまで全部が把握できるような時代ではなかった。今は概ね世界のどこで何が起こったかもかなりの割合で瞬時に分かってしまう。これは技術的には進化だし、人間的には概念の拡張である。

拡張は地図そのものにも現れ、文春新書の世界地図シリーズのごとくマッピングというテクニックが一般化されている。本書にもあるが、地図の始まりは今のようなグラフィカルなものでもなければ多くの図法も持たず、なんだったら図ですら無い場合も多い。その点ではある程度落としどころのついた表現の形式だとも言える。

もうそこにあるものを見つけたとして公表するのは科学も同じ。その見方が変われば現実が変わるのも不思議ではない。地図は現実の変化を反映していて、それ故逆に地図上の変化を見て現実の変化を知ることもあり得る。古地図の楽しさもそこにあるのかもしれない。

map the objectivity and universal

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