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the fruit

11/21
初めて結婚式の二次会というのに参加した。
俺には数少ない先輩と呼べる類の人物の、である。

それはとてもめでたい事で、多くの友人に祝ってもらっていて、これからも幸せでやってくれればと思えるような席だった。式では泣いたそうで、それが見れなかったのは少し残念だったけれど、会の終わりしなに10秒に渡るキスも見れた事だし、人の幸せを心から祝福出来るなんてのは俺にとっては珍しい事だったのでとてもよかった。



自分が上手くいってないと人の幸せなんて素直に喜べたものでは無い。そう思ってたけど、この日は違った。そして多分これからもしばらくはそうだろう。
そもそも、考えてみれば今まで「上手くいってるなあ」なんて感じた事が無かったから、このまま人の不幸ばかり願ってるのもエネルギーの無駄であり、非生産的。それに、ここ数年で人の幸/不幸なんてのに興味が薄くなって、ようやくこの歳でまともに祝う気持ちも生まれたと言えようか。

しかし、結婚をはじめ、そういったロールモデルを今の自分がなぞってく姿は想像もし得ないわけで。こういう横並びがスタンダードな国にいながらその輪から外れ、意図して面倒をかぶってるのかと思うほどの時もある。でも、本来動物的には最良のモデルなんて存在してないはずで、多くの人の都合に合わせて作った脆弱な社会の幻影があるに過ぎない。

それをあえて踏襲するメリットもある人にはあるし無い人には無い。

過去にあった習慣はその時代に適したものであって、現代に適したものであるとは思わない。現にいろんな制度や仕組みも数々破綻してきている。今はまだ国家の破綻に至って無いものの、その日も近いだろう事は素人目にも感じている。

学ぶとは真似る事だといつぞやテレビで言っていたし、そういった事を書いた本も多い。そしてそれを律儀に守った末に現象が量産化され多勢という一般化によって一種の最良点を見いだす結果になっている。また、ガラパゴスと言われるほどに島国ソウル―つまり遮断という手によって多様性も放棄すれば局所的に絶対とも言える答えのある世界を作る事も出来る。常にお手本となるサンプルがありそれを信じて努力すれば幸せになれるかの如く。

実際にはそういう時期があっただけの事なのに。この辺は一神教と変わら無い。

・・・・

ああ、いけないいけない、ついつい話が逸れてしまった。
こういう時は自分も結婚したくなったとか幸せをわけてもらったとか書いとけばよかった。俺はあいにく世界と距離があるからどうも俯瞰的な物言いになりがちだ。

まあこういう時、俺の事はどうでも。とにかくいいことだよ、人が幸せになるのは

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