Header Ads

Leo stream

恐らく、俺はどんな家庭の下に生まれても、程度の差はあれ、その家庭に文句を言うだろう。
しかし、今の自分の家庭の下に生まれた事はその文句が最小限に抑えられていると考えている。

本音というよりは思い込みたいという部分も多少は有るにしろ、俺の形成に一役買っているのがその家庭である。だとすれば、育ち方如何によってどの家庭で文句が一番出にくいかというのも、かなりの幅を持ってしまう。

まあこんなことは、世間との比較によって生まれる無い物ねだりに過ぎないような気がしなくはない。しかしその世間もまた日本という小さい環境で見た局所的な物である。



さて、今日明日跨ぎでLeo stream ― つまり獅子座流星群が見れるとか。

生まれというのに関して、「どういう星の下に生まれたんだ」というような表現を耳にするけれど、もしも流星群のような星の下で生まれたら、どれが自分の星なんだかよくわからなくて困りそうだね。逆に星の側からすれば、幸ならまだしも、テメエの不幸をいちいち星の所為にされるなんて迷惑きわまりない。
また、星の流れる間に願いを唱えたり、人は星という物に魔法的な期待をかける事が多い。実際にそういったオカルティックな方面にではなくとも、観察という点で今の科学に貢献してきた部分と言うか歴史があるのであながち無碍にも出来ない面もある。

「世界」というのは往々にして人の存在より先手を打って存在しているので、どうも人的な所業もそれにもれず後手後手になりがちである。なおかつ、人の生み出す現象も予測は出来ず、常にバックミラーを見る形で記述している状況である。

そういえば昨日当たりから、国会軽視と言うのをよく聞くけれど、それを言ってるおっさんたちも等しく国民を軽視したような奴ばかりに見える。つまらないところでは行間ばかり読んでいるのに、こういうところでは言ったままの意味でしかとれない程度のオツムなのかなあと、みっともなさを感じる。
規模云々ではないけれど、家庭という大きさであっても問題はそれぞれあるわけで、それなのにいい大人がそこそこの知識を以て国という単位の事を考えるにあたり、何を今更資質なんて議論をするんだろう。与党か野党か知らないけど人の資質をどうこう言ってるような暇なんて無いよね。第一政治家の資質って言うのが俺にはその性格の悪さだと思わざるを得ない。

昔から、なんでもやりますというのを重要視して、何がしたいというのをあまり示してこなかった国民が多い。従って、グローバルスタンダードを叫ばれるようになってからはその節が逆転してきてしまった。頭が凝り固まってるもんで今更シフトなんて出来るわけも無くこのままずるずると弱る日本を見届ける事になる、のだろうか。

思えば、小さい子どもですら社交辞令を身につけているこの国。例えば、俺はかつていやいややらされていた習い事があったのだけれど、それの昇進試験で習い事の統括をしているコミッショナーみたいな人との面接があった。そこでその習い事が好きかどうか聞かれた。俺は素直に嫌いだと言った。俺ともう一人その習い事が嫌いなツレも同じ面接を受けてて、なぜか好きだと答えていた。親父もその習い事の役職に多少絡んでいたので、その話を聞いて俺になぜ嘘でも好きって言わなかったのかと呆れていた。

俺は別に失うような何かを背負ってるわけでもないし、誰それと八方美人になる理由も無ければ、嘘をつく必要があったとは今でも思えない。しかし、この極東の島国では横並びという価値観が未だにそこかしこにこびりついている。誰にでもいい顔をして突飛な事をしないという安静に幻想を抱いている。

一方では龍馬のような改革人を望み、一方では安住を望む。この定まらない国民性の感じが今の政治家には反映されてると考えてほぼ間違いない。
我あっての総意じゃないのか。

Emperor the world is mine.

Powered by Blogger.