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Driving today

本屋へ行くついでに軽くドライブしてきた。

嗚呼、例によって家のフィット。1tのボディに86psという必要最低のスペック。
良いように言えば1966年頃のポルシェくらいの数字だろうか。

滅多に飛ばせる道もないけど、ちょっとした高架や田舎の方の広い道はアクセルを踏みたくなる。



このところの車はほとんどが日常十分なレベルで、日本車であれば2000cc(軽を除く)までならどれ買っても差がわからないんじゃないかと思うくらい。最近ではモテ車として小型SUVが紹介されていたり、低迷の兆しとも言える下層の底上げ的現象が見える。

おれは動いた状態でクラウン以上の車には乗ったことないのでそれより上はよくわかりまへんが、このクラウンに乗った感想で言えば、常日頃コロナにしか乗ったことのなかった当時にその違いは明らかだった。まずアクセル踏みはじめの加速が段違い。その後もずっとストレスなく回っていく。それでいて乗り心地だっていい。でもって凄い静かな室内。あと、ナビに乗ってたので感触は俯瞰でしかないけど、コーナリングも軽い。ほぼ八割の車がFFな今、FRのあの軽やかさはやっぱり魅力的なような気がする。ただFRは同クラスのFFに比べて値段が高い。居住スペースは死ぬし、ほとんどの人は駆動輪なんて気にしてないからそりゃあ減るよねFR。

実際燃費とか考えるとフィットで不満がないわけだけど、あのゾリゾリいうエンジン音を聞いてても大してわくわくしない。狭い日本の道路では活かしきれない暴力的な加速だっていつでも出せるということが魅力だったりする。必要十分なのは車選びをする上では、何の意味も持たないのがおれの持論である。単に便利な日常の一部としてなら車なんか乗りたくもなければ欲しくもない。

ものづくりって言う言葉自体があまり好きになれないんだけど、出来上がった物を見ればその国の柄くらいはわかる気がしている。正直なところ、昭和以降に日本が作ってきた家や車や家電は日本を感じる物ではない。勿論日本以外でもそうだけど、どうも最近のプロダクトは収束気味なデザインに向かっている気がして、広がりを感じることが少ない。

まあ、一方でおれが最近の産物を理解しようとしていないということも考えられるけど、中には響く物もあるわけで、そういうのが見つかった時はやっぱり嬉しいと思うわけで。

なんというか、等しくただのモノだからかな、飽きない時はないし感情が移入することもない。それでも多くのことをそこに期待してしまうのは自分の心がいつも自分の中にはいないからだろうか。

感性って言うくらいだから、車ネタで引っ張っただけに心にも慣性があったりして。そこに居続けようとする慣性が。ただおれには慣性より惰性の方が強く働いていて、時に行き過ぎる時もあるんだろうねえ。

頑張るのをやめると、豊かさはやってくる
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がんばってないおれが豊かでない時は、これ以上がんばらないことが出来ないんだけど、それでもがんばらないでいいのだろうか。
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