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Dark and light

武田双雲さんのブログにあったこの記事にちょっと補足したくなった

というのも、随分と夢についても志についても陽な部分が目立ったので、一方に寄り過ぎた事に違和感を感じるおれとして余計な言及をしてみる。



まず、志に抱くイメージの多くが固くしっかりした物であるという事に対して。

さる本に英雄と言われた人の記述があり、知ってる人は知っている知らない人は覚えてねくらいの人物で歴史の授業でも習わない。しかし、やった事は大した事あって、もうちょっとフィーチャーされていい存在と思えなくもない。今ここで詳しい話は避けるとしても、その英雄でさえ志ほどとけやすい物はないと言った節がある。歴史上の人物に限ってはかなりの割合で志なんてのが重要視されていて、こいつはこういう志があったと言うように、もって然りという空気を出している。

次に、夢をどうも靄のかかった弱い感じで表されている事に対して。

おれはこれほど形としてはっきりした物はないように思う。なぜなら使い古されたフレーズに「夢は見る物ではなく叶えるもの」とあるのがそれを示している。叶えるという事はイメージを具現化してるようなもんなのであるとき相転移を起こして現実にその存在を確立するようになる。この辺が平均的な夢の件だと。


話が少しずれるけど夢と志のような比較に際して、サイエンスとファンタジーの比較が頭に浮かんだ。サイエンティストにすれば全てを科学で記述出来るようになると言いたいところだろうけど、それは半分くらいの正確さではないかと。なにより、世に存在する現象をとってきてこれは科学であるとか超常現象だというのは人レベルの話であって、ハナから分ける必要があるのかすら微妙である。いろんなことをどう捉えようとそれは自由だし細かい突っ込みは望まれない事なのだろうけど、記述という階層で話をする限りそれは言葉遊びの域を出ないのだろうと。

そして、もちろんここではそれをやってると言って間違いなく、本記事での派生的な議論はあまり必要なかったと思ったりもしている。ただ、単にもっとダークサイド、つまり壊れた感性や退廃的なヴィジョンがないものなのかと、少し違和感を感じたまでの事。

世が綺麗で明るいものだと期待するとグレーなものやブラックなものを見なくし、築き上げるものが歪曲していくように感じるのだけれど、実はそこでバランスをとっているからいいのかねえ。

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