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自己責任

移動権なんてのがあるそうで、これは平たく言えば不便なとこに住んでても必要な時に移動が出来る状態にいれる権利みたいな事。

概ね年寄のための権利だと思わざるを得ないけれど、もしこれのために移動インフラへ投資が行われるならばちょっと待てと言いたい。なぜなら、自己責任で不便なところに暮らしているわけなので、それをまず解消するところからはじめれば多くの問題は片付く。
永続的なインフラの維持よりも人を動かす事に一時的な投下をした方が将来にかかる迷惑は少ない。そういうことを先の短い人にはもう少し考えてもらいたい。



どうにも、テレビや新聞は弱さを協調し偏重したような流し方を好むような気がしてならない。

チャンネルを回せば管だ小沢だと、国の経済よりも党の方が重い情報とでも思っているかのようだ。こんな誰が見て得するのかわからないような物しか提供しないのに、そこに多くの金を投入するスポンサーはそこまでしてメリットがあるのか。

日本のメディアがレベルが低いと言われるのは何も作る側だけの責任ではないかも。

これに限った事ではないけれど、どうしようもない事をしょうがないと割り切れずに時間を無駄に使う人はとても愚かである。今までそうやって粘ってどれだけ得をしたか振り返ってみた方がいい。恐らく得した例は多くないはずである。いつもいつも諦めろとは言わないが、どうにかなる時とどうにもならない時くらいはその目で見極めるべきである。
交渉はどうにかなる可能性に向けてするのであって、実現不可能な場合に同じ事をすればそれは単なる無理強いでしかない。

おれの感覚では金持ってる人はそんなことあんまりしないし、無駄な交渉の時間があればもっと生産的な事が出来る人が多い。どこに何をどれだけ使うかがわかってないと行動の多くはアホになる。

まあ、そういうのを見ておれはどう振る舞えばいいかわかれば十分なんだけどね。ただ、残念な事にマジョリティ至上主義みたいな事が蔓延してるせいか、どっちに正義があるかいちいちはっきりさせたがる人がいて、他人の自由を平気で縛るから面倒臭い。無能のくせに人を動かそうとするから上手くいかないと、いつになったら学習してくれるのか。

変わっていく人と変わらない自分ってことを考えた事ないのかなあ、この手の人たちは。
おれは人が変わらない事よりも自分が止まっている事の方がよっぽど嫌だなー
言っても仕方ないんだけどね、こればかりは。

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