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人の技術か機械の制御か

ランボルギーニMT廃止へ

うーん、まあなんというか、仕方ないかなあ。燃費とか、純粋にどっちが早く走れるかと言えばチョイスは決まってしまうのかもしんない。操ってる感は減るけど、マシンネイティブ感は増す。

スポーツカーもハイブリッドを意識したり、走る以外に注力してくるとミッションも刷新しないと釣り合わないわけで。クラシカルな雰囲気にこそマニュアルってのがいい。



ただ、人間のスペックから言ってラクチンなだけの乗り物にしてしまうのはもったいない。何事も面倒がないとおもしろくも何ともない。癖や不便を機械に受け止めさせるのは頂けない。道楽とはあえて面倒なことを受け止めるとこから始めないと。

その点最近は、あえて面倒をしなくてもコンピュータなんてのが一人一台まさにパーソナルにコンシェルジュのように控えている。だから戸惑うこと自体が極端に減って、人との摂行が減るより何より必要ではなくなっている。それは進化でもあり効率のいい流れでもある。

どうしても人がやらなければいけないことはほぼ無い。あえていえば今までも人が何をしたってことは無いけれど、人は何かしていないと不安になるからやめれないことがいっぱいある。何もしなければ怪我もしないところを、我慢出来ずに手を出してしまう。もうそろそろ学習してもいいころ。

何もしないを出来る人はすべからく、である。

さて

この一番下の画像のどのへんに惹かれるかは言うまでもない

言うまでもないけど言わないとわからなかったりして。そう、例えるなら密林で覆われた草の根を分けた時に遺跡を発見する時のような、そういう感情に近いもの。

感情と言えば

最近どこぞの会話を聞いていて、理系の人は淡々と話すとか言っていた。人によるだろうという当然の論は置いとくとして、余計な感情を読み取って話を聞いているだろうその会話の主に言っておく。感情に任せてものを言うと論点がずれると。何よりその会話の内容が~論的要素を持っていたのでそう思うだけで、何でもかんでも淡々と言ってるかというとそうではない。感情が混じると普遍的でなくなって意図が見えなくなるし、発言者の一意見でしかなくなる。だから、淡々。っていうかアホは何言っててもよくわからないことが多いけど。

こういうアホに関しては機械で制御して欲しい。人の技術に期待出来ないから。



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