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無能には切れない先陣

昔、二番目を決めるという企画が某番組であったけれど、これは日本への皮肉だったのかなあと。というのもこの国では一番手というものに対するアレルギーが強いように思う。しかしさはありながら、虎視眈々と誰かを出し抜こうとする腹黒さも多分に含んでいる気もしている。

周りの人よりかは一歩前に出ていたいとは思いながら、目立って先頭に立つのを避けたがっている。つまり、抜いて一番に出る事を望み、荒野にはじめの第一歩を踏む事を願っていないということ。



実際一番手として足を踏み入れるのはリスクも高く体力もいる。過去の情報を元に行動する事の多いジャパニーズには向かない行為である。どこかの能力ある人間が出しゃばれば足並みそろえて批判をし、地を平に、球をより丸く、どんどん本体を小さくしている。外にも向かず内をしがみ、二の足どころか一の足も出ていない。

国柄と言ってまとめてしまうのはなんだけど、某国のように広大な領地を持っているとフロンティア精神なんていうのが湧いて当然である。サイズ依存性というのは恐らく地球上にも多少あって、小さすぎるとその規模の中では特殊なものしか存在しないという現象を生む。かのガラパゴスと言われるものから、ニュートンのような人ですら一歩地球外に出れば足りなさを自覚せずにはいられなかっただろう。

しかし、日本は比較的どこの国へも出て行ける環境は持っている。宗教的な対立も無いし。まあ近隣の国は歓迎しなかったりするところもあるのかもしれないけど、それは過去の人間の事であって今の俺らには関係のない事である。
老人に関してはいつも若者に付けを残していく感じが否めない。今時の若者はと思ってる以上に、旧時代の老人はとこっちだって思っている。老人のための高福祉、若者による高負担が日本の最大の格差だと言う話も出ているくらいだから、日本は円高に対する懸念以上に高年に対する作をもっと出さねばいけない、老人自身で。

だからまさに、先陣を切って極楽浄土への一歩を。

それはさておき、国柄と言う話が出たのでちょっと触れようかと思う、ノーベル。アメちゃんではなく賞の方の。これはよく言われる事で理工系の分野で日本はいい感じだと。それはまさに一番手をとりたい精神の表れのように思えなくもないけど、そういうプライズだからねえ。言ってみればもうある舞台なわけで、世間が騒ぎ出す頃には業界の常識である事も多い。
それに見つけただけだし、そこからくる工業製品の方がより先進である。そういう意味では日本車はたいしたもんだといってあげてもいい。俺は欲しくはないけど。
で、外車でもドイツのは出来がいいものが多くって、他のヨーロッパ諸国に比べて壊れにくい。最近ニュースにもなっている水平対向エンジンもポルシェとスバルといったようにかつての同盟国同士似通ってくるのかと思えてしまう。そして三国のもう一つの国、イターリアの車を俺が好きなのも何か感じるところがあるのだろうか。日独伊ってイタリアだけ毛色が違うように思うのに、なんなんだろう。パガーニとかブガッティをはじめあのラテンの感性は日の丸の赤色以外には感じた事が無いのだけど。

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んん、逆に日本の風土があるから俺のようなアマノジャッキーは先んじてみたかったり異端でいたくなってりするのかねえ。


※ブガッティに関してはフランスとイタリアのどっちにするのかよくわかりまへん

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