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同じワイン好き

全然違うのは承知の上であえて言います。ぼくと同じワイン好きのおじさまです。


プロですけどね。
こっちはたまに飲む酒がワインなだけで、同じなんていうのは狂気の沙汰でしかありませんが。

というか、そんな話はどうでもいいのです。この本の帯にあるような事を言う人に是非読んで欲しいと、そういう話なのです。



さてさて、今日は昼ご飯にコーイベリーのぶーしゃーを食べまして、まさに味を表現したところでありました。薄切りにされているにも関わらず、肉の味は濃く残され、ポークステーキ一枚にかじりついたかと思うよう。

的な。

食べ物に限らず車や家や電化製品など、伝えるべきものがどれほど伝わっているかというのはもっと意識して然るべきものです。メディアに流れる安いフレーズがどれだけ稚拙かは本書を見なくとも多くの人が感じている事であります。しかし、そう思っている人がいざ伝える側に立った時どれだけ上手く伝えるんでしょうか。
幼少期から議論の機会が少ない多くの人はただでさえ発表能力が低いと考えざるを得ません。だからとは言いませんが、人に何かを伝える事が非常に難しくなっているのかもしれません。
特に俺の例で言えば、あまりちゃんと挨拶をしなかったり、数年前まで「頂きます」すらまともに言ってませんでした。これはちょっと特殊かもしれませんけど、耳に久しくない事で言えば、日本の男は彼女や奥さんに対して「好き」とか「綺麗」とかあんまり言わないというのがあります。そういった五感に触れたものを言葉にする習慣が薄れると、大事な場面での表現力も非常に落ちるような気がします。
ああ、もちろん彼女や奥さんには習慣じゃなくて気持ちを込めて言わないといけませんけどね。

そして、なにより本書で言いたいであろうことは、誤解を招いたり勘違いするような伝え方で本筋を歪めたら駄目だと言う事のように思えます。何処産が美味いとか自家製が美味いと言ったように、美味しさに関係ないものを持ち出すのが間違いだと。こういったことが起きないように自分なりの基準をもった方が得である、そんな事が書いてありました。

今は気候の影響で野菜が高くなっていますが、そんな中でも某国産というだけで買わない人がいるくらいです。産地で危険かどうか判断するのは少し足りない気がします。それくらいで買わないような国民が自給率の引き上げを提唱し、天候リスクの高い食物を消費するというのは持続的であるとは思えません。味だけではなく安全性というのにもメディアの煽る影響が出ているんじゃないかとそんな心配をしています。

伝える技術という本ではありますが、このような一面からのスポットを題材にしている本の場合反対側の事も意識して読んでみるといいんじゃないかと。つまり受け取る側としての姿勢です。本書では共通認識としてちょろっと出てましたがまさにそういう事です。

ワイン好きでなくても、ソムリエに興味が無くてもいろんなことをテイスティングした時にどう表現するのか、一読してみる価値はあるんじゃないでしょうか。

emperor the wine drinker

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